「中山城」62城目@日本の城 #群馬県吾妻郡高山村中山

■城名
中山城(なかやまじょう)

■別名

■所在地
群馬県吾妻郡高山村中山

■見ごたえ
★★☆

■築城年
1582年(天正10年)頃

■廃城年
1590年(天正18年)

■築城者
北条氏

■主な城主
北条氏

■城分類
丘城

■歴史
徳川と北条の領土争いが盛んだった頃、真田昌幸は当初北条方に帰属していたものの、一転して謀反を起こし、徳川方に付き従います。

これを知った北条氏直が北条氏邦に命じ、真田の拠点「岩櫃城」と「名胡桃城」の中間にある中山の地を占拠させました。この際、北条氏の真田攻めの拠点として設置されたのが中山城です。

当時は、かつての沼田城主であった沼田顕泰の子「赤見山城守」が城を守っていました。その後の細かな歴史動向は明らかにされていませんが、北条氏が滅亡した天正18年(1590年)に、中山城は廃城となりました。

■遺構
土塁、空堀

■指定文化財
村史跡

■ご城印
 

■場所

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■城巡り記録

2023年7月28日

名胡桃城から岩櫃城に向かう途中にあるお城です。


北条方から徳川方に寝返った真田氏に対して、北条方は真田氏を攻めるためにこの場所にお城を築いたのだとか。


田畑の真ん中に標識がありました。


この道だなと行ってみたのですが、そこから坂道を登ってみると道が荒れてきます。


上まで行くと開けた畑がありましたが、お城の気配がなく。


更に道を進んで、一度下り、回ってみると今度は中山城市の案内板がありました。


どこかで道を間違えたのだろうともう一度戻ってみると、どうやら坂を登る前に右に行くようです。

バイクを置いて、そこから先は歩いていきます。


これは少し気が付きづらいですね。


少し進むと上り坂があり、真田街道の旗もありました。


こちらであっているようです。

上っていくと本郭に到着しました。


木々があり、静かな場所でした。


その先に先程間違えて上った畑がありますが、その間には非常に深い堀があります。


これは掘られたものなのか、もともとこういった地形だったのか、でも先程の畑の場所からはこちらには来れないですね。

一度戻って、今度は中山城の御城印を購入するために道の駅に行きました。


中山城周辺は全く人がいなかったのですが、この道の駅はかなり人がいてびっくりです。


見晴らしも良いですし、良い場所ですね。


こちらで白と黒の2種類の御城印を購入しました。

「楔を打ち込む境目の城」とは、なかなか良いタイトルですね

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