「向羽黒山城」41城目@続100名城 #福島県

■城名
向羽黒山城(むかいはぐろやまじょう)

■別名
岩崎城、巌館

■所在地
福島県大沼郡会津美里町三日町

■見ごたえ
★★★★★

■築城年
永禄4年(1561)

■築城者
蘆名盛氏

■主な改修者
蒲生氏、上杉氏

■主な城主
芦名氏、蒲生氏、上杉氏

■城分類
山城

■遺構
曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)

■指定文化財
国史跡(向羽黒山城跡)

■歴史(ChatGPTより)
向羽黒山城 は、福島県会津美里町にある戦国時代の大規模山城である。会津盆地の南西部、阿賀川東岸にそびえる岩崎山(別名・向羽黒山)に築かれた城で、その規模は東西約1.4キロメートル、南北約1.5キロメートル、総面積約50ヘクタールにも及ぶ。現存する中世山城としては東北地方最大級の規模を誇り、戦国時代の城郭遺構が良好な状態で残されていることで知られる。

築城を開始したのは、会津を支配した戦国大名 蘆名盛氏 である。永禄4年(1561年)に工事が始まり、永禄11年(1568年)に完成した。盛氏は隠居後、この城に移り住みながら蘆名氏の政治を執り続けたとされる。当時の蘆名氏は会津地方最大の勢力を誇り、向羽黒山城はその政治・軍事の中心的な役割を果たした。

城は天然の地形を巧みに利用して築かれている。東側には阿賀川が流れ、急峻な崖が天然の防壁となっていた。さらに山全体に土塁や空堀、竪堀、虎口などが配置され、敵の侵入を防ぐための高度な防御施設が張り巡らされている。山頂部には本丸にあたる「実城(みじょう)」が置かれ、その周囲に二の丸や三の丸、家臣団の屋敷跡などが配置されていた。現在も各所に戦国山城の遺構が残り、当時の縄張りを具体的に見ることができる。

天正17年(1589年)、蘆名氏は 摺上原の戦い において 伊達政宗 に敗れ滅亡した。しかし向羽黒山城はその後も重要な軍事拠点として利用される。会津に入った伊達政宗に続き、 蒲生氏郷 や 上杉景勝 も詰の城として活用した。

特に上杉氏は慶長3年(1598年)から翌年にかけて大規模な改修を実施した。この改修では、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた朝鮮半島の倭城の技術が取り入れられたとされ、籠城戦を強く意識した防御施設が整備された。戦国時代後期の最新の築城技術が反映された城郭としても高く評価されている。

しかし慶長5年(1600年)の 関ヶ原の戦い で西軍に属した上杉氏は敗北し、米沢へ減封・転封されることとなった。その結果、向羽黒山城は慶長6年(1601年)に廃城となった。

現在は国指定史跡として整備され、本丸跡や二の丸跡、空堀、竪堀、石塁などを見ることができる。また山上からは会津盆地や阿賀川を一望でき、戦国武将たちが見たであろう景色を体感できる。向羽黒山城は、蘆名氏の栄華と会津の戦国史を今に伝える貴重な遺跡であり、東北屈指の山城として多くの歴史ファンや城郭愛好家を魅了している。

■場所

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■城巡り記録

2026年6月12日

さすが続100名城に選定されるだけある立派な山城でした。

麓から登るのもありですが、今回はバイクですいすい行きました。

本郭近くまで行けて、ちゃんと駐車場があったので良かったです。

熊注意の看板は怖かったですね。

最近は熊被害がすごいので、特にビビっていました。

スマホで音楽を最大音量で聞きながら歩きましたよ。

景色も非常に良くて、満足しました。

唯一残念だったのは、インフォメーションセンターがやっていなかったこと。

平日だけど金曜日だから大丈夫かと思ったら、土日しかやっていないんですね。

スタンプは外に置いてあるので押せましたが、御城印もほしかったなぁ。

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