「丸山城」129城目@日本の城 #神奈川県

■城名
丸山城(まるやまじょう)

■別名
糟屋城

■所在地
神奈川県伊勢原市下糟屋

■見ごたえ
★★

■築城年
鎌倉時代

■築城者
扇谷上杉氏

■主な城主
扇谷上杉氏

■城分類
平山城

■遺構
曲輪、土塁、横堀(空堀)

■歴史(ChatGPTより)

神奈川県伊勢原市下糟屋に所在する丸山城(まるやまじょう)は、相模国中部に築かれた中世の山城である。別名「糟屋城」あるいは「千鳥ヶ城」とも呼ばれ、現在は丸山城址公園として整備されている。城跡は伊勢原台地の南端部、比高約20メートルほどの独立丘陵上に築かれ、平野部を見渡す戦略的な位置にある。この地は古くから交通の要衝であり、東西を結ぶ古道が通っていたことから、地域の支配拠点として発展したと考えられている。

創建の時期や築城者については明確な史料が残されていないが、伝承によれば、平安末期から鎌倉時代初期にかけて糟屋氏の居館があったとされる。糟屋氏は源頼朝の挙兵に従った相模国の有力御家人で、糟屋左衛門尉有季がその祖と伝わる。彼の居館が防御性を強化していく中で、やがて城郭化したのが丸山城の始まりとされる。発掘調査では鎌倉期から室町期の陶片やかわらけなどが出土しており、長期にわたって居館または砦として使用されていたことが裏付けられている。また、室町後期には関東管領上杉氏の勢力下にあり、相模の国衆が小田原北条氏の勢力拡大に備えて活用した可能性も指摘されている。

構造面では、丸山城は丘陵の自然地形を巧みに利用した「平山城」である。主郭(本丸)を頂上に置き、その周囲に帯曲輪(おびくるわ)と呼ばれる腰郭が巡る構成をとる。主郭の北側および西側には厚い土塁が築かれ、南側には深さ約3メートルの堀が確認されている。また、発掘では堀底を区切る「障子堀」構造も見つかり、防御性の高い設計がなされていたことが分かっている。これらの特徴から、単なる居館跡ではなく、戦国期には実戦に備えた小規模ながら堅固な山城として利用されていたと考えられる。

江戸時代に入ると丸山城は廃城となり、周辺は農地として開発された。城跡の一部は国道246号線の開通に伴って失われたが、北側や中央の主郭部分は比較的良好に残存している。現在は「丸山城址公園」として整備され、案内板や散策路が設けられており、誰でも自由に訪れることができる。土塁の高まりや堀跡を間近で確認でき、往時の防御線を実感できる構成となっている。春には桜が咲き、地元住民の憩いの場としても親しまれている。

城跡周辺には糟屋氏ゆかりの高部屋神社や糟屋館跡などの史跡が点在しており、地域の中世史を感じながら歩くことができる。アクセスは小田急小田原線伊勢原駅から徒歩約20分、またはバス「栗窪入口」下車徒歩5分ほど。無料の駐車場も整備されており、登城路も緩やかで散策に適している。

丸山城は、派手な石垣や天守こそ持たないが、土の城特有の素朴な美しさと中世の防御技術が凝縮された貴重な遺構である。糟屋氏の居館から戦国の砦へと姿を変え、伊勢原の歴史を静かに伝えるその姿は、今もなお地域の誇りとして息づいている。

■場所

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■城巡り記録

2025年11月3日

国道246号沿いにあるお城。

グーグルマップに案内してもらったら、道の逆側から行けというので案内間違っていると思いつつ行ってみたら、階段を上って歩道橋を渡った先が丸山城でした。

良い道を案内してくれていました。

現在は立派な公園になっています。

平和が一番ですね。

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