「杉本城」159城目@日本の城 #神奈川県

■城名
杉本城(すぎもとじょう)

■築城年
平安時代末(12世紀)?

■廃城年
南北朝時代(1337年)頃?

■築城者
杉本義宗?

■主な城主
斯波家長

■天守
なし

■城分類
山城

■歴史(ChatGPTより)

現在、城跡とされているのは、鎌倉市にある 杉本寺 の背後に広がる大蔵山の山塊である。この地域は三方を山に囲まれた天然の要害であり、『日本城郭大系』では、鎌倉全体をひとつの巨大な城郭「鎌倉城」とみなす立場から、その防御機構の一部として杉本城が築かれたとされている。特に東方の要路である朝夷奈切通方面からの侵攻に備える拠点として位置づけられていた。

築城の主体となったのは、相模の有力武士団である三浦氏である。その棟梁 三浦義明 の長子であり、杉本氏の祖とされる 杉本義宗 が、三浦半島から鎌倉郡杉本の地へ進出して居館を構え、これが城の起源になったと伝えられる。この地は六浦道を押さえる交通の要衝であり、軍事的・経済的にも重要な地点であった。義宗は早世したが、その後は子の義茂が城に入り、杉本氏の拠点として維持された。

やがて 治承・寿永の乱 が勃発すると、杉本城は実戦の舞台となる。三浦氏は源氏方として挙兵した 源頼朝 に従ったが、頼朝軍は 石橋山の戦い で敗北する。その後、平家方の武将 畠山重忠 が鎌倉へ進駐するが、三浦氏とは姻戚関係にあったため、直ちに戦闘には至らなかった。しかし、誤解から杉本義茂が城から出撃し、戦闘に発展したと伝えられており、この城が当時の緊張状態の中で重要な軍事拠点であったことがうかがえる。

鎌倉時代後期になると、杉本城には堀切や溜池、詰の場所などが整備され、より本格的な山城としての機能が強化された。防御線は瑞泉寺方面にまで及び、鎌倉という武家政権の中心地を守る重要な施設のひとつとして存続していた。

しかし南北朝時代に入ると、その運命は大きく転じる。建武4年(1337年)、足利方の武将 斯波家長 が杉本城に拠ったが、朝夷奈切通から侵攻してきた南朝方の 北畠顕家 の軍勢と戦い、敗北する。この戦いで城兵はほぼ討ち死にし、杉本城は落城したと『太平記』に記されている。

その後、杉本城は歴史の表舞台から姿を消し、再び記録に現れることはなかった。現在では、杉本寺の境内および周辺にわずかな地形的痕跡を残すのみである。しかしその背後には、鎌倉防衛の一翼を担った重要拠点としての歴史と、源平から南北朝に至る激動の時代を物語る記憶が刻まれているのである。

■場所

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■城巡り記録

2026年3月20日

朝8時ごろに伺ったら9時からしか開かないみたい。

お寺だからそんなことないだろうと思っていたんですが、本当にふさがっていました。

結構良さそうなお寺なので、また今度来たいと思います。

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