「中原御殿(なかはらごてん)」156城目@日本の城 #神奈川県

■城名
中原御殿(なかはらごてん)

■別名
御鷹野御殿、雲雀野御殿、東照宮御旅館、御旅館

■所在地
神奈川県平塚市御殿2-8(中原小学校)

■見ごたえ
★★

■築城年
慶長元年(1596)

■廃城年
明暦3年(1657)

■築城者
徳川家康

■主な城主
徳川氏

■城分類
御殿

■遺構
移築門(善徳寺三門)

■歴史(ChatGPTより)

中原御殿(なかはらごてん)は、江戸時代初期に相模国中原、現在の平塚市御殿二丁目付近に置かれた徳川将軍家の御殿(別荘)である。徳川家康の命により築かれ、江戸と駿府を往復する際の宿泊施設や鷹狩の拠点として利用された。創建時期は明確ではないが、慶長年間の成立とする説が有力である。当時は「御旅館」と呼ばれ、「御鷹野御殿」「東照宮御旅館」「雲雀野御殿」などの別称もあった。

規模は東西約140メートル、南北約100メートル、約7100坪という広大な敷地を持ち、周囲には幅約10メートルの堀が巡らされていたとされる。現在、跡地には平塚市立中原小学校が建ち、御殿跡碑が設置されるのみであるが、北側の道路には堀の痕跡が伝えられている。また、市内の善徳寺三門は、この御殿の裏門を移築したものと伝わる。

御殿は寛永17年(1640年)に修理された記録があるが、明暦3年(1657年)、明暦の大火の年に廃止された。その後、建物は取り払われたが、御殿の存在は地域に強い影響を残した。

特に注目されるのは御殿に伴う御林である。御殿造営の頃から周辺には黒松を中心とした大規模な植林が行われ、「中原御林」と呼ばれた。この松林は約127町歩にも及び、幕府によって厳重に管理された。後には江戸城の普請や台場建設の資材として利用されたが、明治以降は東海道本線建設に伴う煉瓦製造の燃料として伐採され、姿を消した。

また、この御殿と江戸を結ぶ道は後に中原街道と呼ばれるようになった。この街道は江戸時代に整備されたものの、起源は戦国期の後北条氏時代に遡り、もともとは大磯付近を起点とする古道であった。中原御殿はその街道上の重要拠点として機能し、交通・軍事・政治の面で大きな役割を果たしたのである。

■場所

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■城巡り記録

2026年3月14日
 

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