■城名
松田城(まつだじょう)
■別名
-
■所在地
神奈川県足柄上郡松田町松田庶子
■見ごたえ
★★
■築城年
平安時代後期
■築城者
松田義常
■主な城主
松田氏
■城郭構造
連郭式
■城分類
山城
■遺構
曲輪、腰曲輪、堀切、横堀(空堀)
■指定文化財
町史跡
■歴史(ChatGPTより)
松田城(まつだじょう)は、神奈川県足柄上郡松田町に所在した中世の山城で、現在は城跡としてその痕跡をとどめている。築城時期は明確ではないものの、鎌倉時代末から戦国時代にかけて利用されたと考えられており、地域の在地領主である松田氏の居城であった可能性が高い。松田町の歴史を語るうえで欠かすことのできない存在であり、町指定史跡として保存されている。
松田城は、酒匂川流域を見下ろす丘陵上、標高約150〜180メートルほどの地点に築かれた山城である。この立地は、防御面に優れるだけでなく、足柄平野や交通路を一望できる軍事的にも重要な場所であった。山城としては大規模な石垣を用いず、自然地形を巧みに利用した構造が特徴で、尾根を削平した曲輪や、敵の侵入を防ぐための空堀、土塁などが設けられていたと考えられている。
文献史料としては、戦国期の小田原北条氏の支配体制を記した「小田原衆所領役帳」に、松田城および松田氏の名が確認できる。これにより、松田城が北条氏の勢力圏に組み込まれた在地城郭であったことがうかがえる。松田氏は北条氏の被官、あるいは国衆的な立場でこの地を治め、酒匂川流域の支配と防衛に一定の役割を果たしていたとみられる。
1980年代には、東名高速道路の拡幅工事に伴って発掘調査が行われ、松田城の実像がより明らかになった。調査では、掘立柱建物跡や柵列、空堀のほか、中国・龍泉窯系の青磁、国産陶器、刀子、馬具、硯などが出土している。これらの遺物は、松田城が単なる戦時の砦ではなく、人々が常時生活する拠点であったことを示しており、城主層の暮らしや文化水準を知る手がかりとなっている。
松田城の廃城時期は明確ではないが、16世紀末、豊臣秀吉による小田原征伐の前後に役割を終えたと考えられている。北条氏の滅亡とともに在地城郭の多くが廃され、松田城もまた歴史の表舞台から姿を消した。その後、城地は農地や山林として利用され、現在はみかん畑や雑木林の中に遺構が静かに残されている。
現在の松田城跡には天守や石垣といった分かりやすい遺構はないが、地形に目を向けると、曲輪跡や堀切とみられる凹凸が確認できる。本丸跡とされる場所からは、足柄平野や相模湾方面を望むことができ、往時の城主がこの景色を眺めながら領内を治めていた様子を想像することができる。
松田城は、派手さはないものの、戦国期の在地領主の城のあり方を今に伝える貴重な史跡である。丹沢山系の自然と酒匂川流域の歴史を背景に、地域に根ざした中世城郭の姿を感じ取ることができる点に、この城跡の大きな魅力がある。
■場所
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■城巡り記録
2025年12月5日

ものすごい急坂を登っていくと案内板があります。

登りきったところで少し平坦なところがありますが、この辺が城跡でしょう。

現在は主に畑となっているようです。
電気柵が設置されているので入れません。

奥のほうに行くと民家がありました。



途中の坂からは小田原や海がきれいに見れて絶景でした。

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