「深沢城」133城目@日本の城 #静岡県

■城名
深沢城(ふかざわじょう)

■所在地
静岡県御殿場市深沢

■見ごたえ
★★★

■築城年
戦国時代

■築城者
今川氏

■主な城主
今川氏、後北条氏、駒井氏、三宅氏

■城分類
平城

■遺構
曲輪、土塁、横堀(空堀)、門

■指定文化財
県史跡(深沢城跡)

■歴史(ChatGPTより)
深沢城(ふかさわじょう)は、静岡県御殿場市深沢に所在した戦国時代の城で、現在は静岡県指定史跡としてその遺構が保存されている。深沢城は馬伏川と抜川が合流する地点の台地上に築かれており、自然の断崖と川の浸食によって形成された要害性の高い立地を活かした城である。こうした河岸段丘を利用した城は「崖端城(がけばたじろ)」と呼ばれ、平坦部に近いながらも防御力を備えた特徴を持つ。深沢城も例外ではなく、本丸・二の丸・三の丸が段状に構成され、これらの郭を区切る空堀や土塁、馬出(うまだし)、三日月堀といった戦国期特有の防御構造が配置されていた。

城の起源については諸説あるが、一般には16世紀初頭、駿河国を支配していた今川氏の当主・今川氏親が、足柄街道の防衛と甲斐・相模への備えとして築城したとされる。当時の御殿場周辺は駿河・相模・甲斐の三国国境に近く、街道交通の要衝でもあったため、深沢城は軍事的にも戦略的にも重要な位置を占めていた。

永禄十一年(1568)、武田信玄による駿河侵攻が始まると、深沢城は武田軍の手に落ち、その支配下に組み込まれた。しかしわずか二年後の元亀元年(1570)、北条氏康・氏政親子は大軍を率いて駿河へ進出し、深沢城を攻略して奪取する。城主には北条家の猛将として知られる北条綱成が任じられ、北条方の重要な前線拠点として整備された。しかし同年末、信玄は再び挙兵し、深沢城へ大軍を差し向け包囲戦を展開する。戦闘では激しい攻防が繰り広げられたが、信玄は金山衆を動員して城の破壊工作を行い、さらに降伏を促す矢文を送りつけるなど心理戦も駆使した。最終的には北条方は開城し、深沢城は再び武田氏の支配に戻る。この「深沢城の矢文」は武田信玄の戦略的才覚を示す逸話としてよく語られる。

その後、武田家滅亡後の混乱期には一時荒廃したとみられるが、やがて徳川氏の支配下に入ると、周辺一帯の統治のために再利用されたとされる。しかし、天正十八年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めで北条氏が滅んだことにより、城の軍事的価値は失われ、深沢城は廃城となった。

現在の深沢城跡には、本丸や三の丸の地形、空堀、三日月堀、馬出などが良好に残されており、市街地に近い城でありながら戦国の縄張りを体感できる貴重な史跡となっている。また、城の大手門にあたる門は近隣の大雲院に移築されており、当時の建築の一端を今に伝えている。深沢城跡は大規模に整備された観光地ではないものの、静かな田園風景の中に戦国時代の気配を残す、歴史愛好家にとって魅力的な場所である。

■場所

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■城巡り記録

2025年12月5日

御殿場と足柄峠の間にあるお城です。

あまり知られていないので、とりあえず行ってみるかという感じていってみたのですが、しっかりと遺構が整備されていて素晴らしいお城でした。

一部住宅地や畑になってしまっていますが、空堀などはしっかり残っています。

調べてみると今川、武田、北条が争ったお城なんですね。

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