■城名
七沢城
■別名
七沢要害
■所在地
神奈川県厚木市七沢
■見ごたえ
★★
■築城年
不明
■築城者
不明
■主な城主
扇谷上杉氏
■城分類
山城
■歴史(ChatGPTより)
七沢城(ななさわじょう)は、神奈川県厚木市七沢に所在する中世の山城である。相模国中部を見渡す丹沢山麓の丘陵地に築かれたこの城は、室町時代から戦国時代にかけての重要な防衛拠点の一つとして知られている。標高約200メートルの尾根上に位置し、自然の地形を巧みに利用した典型的な山城で、周囲を急峻な谷と沢に囲まれ、天然の要害を形成していた。
七沢城の築城時期は明確ではないが、14世紀後半から15世紀初頭にかけて、当地を支配していた糟屋氏によって築かれたと伝えられる。糟屋氏は相模国の国衆であり、鎌倉公方・上杉氏の被官として活動していた。のちに扇谷上杉家の配下となり、上杉定正や太田道灌との関係も深かったと考えられる。七沢城は、彼らの拠点である糟屋館(伊勢原市)と並ぶ防衛線を形成し、厚木から伊勢原・秦野方面へ通じる要地を押さえる位置にあった。
戦国時代に入ると、相模国では上杉氏と北条氏の対立が激化した。七沢城もこの戦乱の中で幾度か争奪の舞台となり、北条氏の勢力拡大に伴って城主が交代したとみられる。天文年間(1532〜1555)には、北条氏の支配下に入り、周辺の荻野・森の城とともに厚木方面の防衛拠点を構成した。城の規模はそれほど大きくはないが、尾根を巧みに削平して郭を連ね、堀切や土塁によって防御線を構築している。主要部は主郭・二の郭・三の郭の三段構造をなし、尾根筋に沿って通路が設けられていた。
主郭は東西約40メートル、南北約30メートルほどで、周囲に土塁が巡り、南側に空堀を備えていた。城の北側には深い谷があり、そこを天然の堀として利用していた。また、南方には七沢温泉郷を見下ろす位置にあり、相模平野を遠望できる。防御的にも視界的にも優れた地勢を持つことが、この地が城郭として選ばれた理由の一つといえる。
天正十八年(1590)の豊臣秀吉による小田原征伐の際、七沢城も北条氏に属していたため廃城となったとされる。以後、城は再建されることなく山中に埋もれ、長い間その存在は地元伝承の中で語られるのみであった。しかし、近年の調査により、城跡には明確な郭や堀切の遺構が残されていることが確認され、相模の中世山城の特徴をよく伝える貴重な史跡として注目されている。
現在、七沢城跡は厚木市の文化財に指定されており、山道をたどることで主郭跡に到達することができる。周辺は自然豊かな七沢森林公園として整備され、散策路からは当時の城郭構造をうかがうことができる。七沢温泉とともに観光地としても知られ、かつての戦国の舞台が静かに森の中に眠る姿を見ることができる。七沢城は、糟屋氏や扇谷上杉家、さらには北条氏の歴史を伝える、相模国の戦国史における貴重な遺構である。
■場所
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■城巡り記録
2025年10月19日

現在のリハビリ病院の場所が七沢城

かなり急傾斜の坂道を登っていきます。


道路わきには案内板や石碑がありました。


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