■城名
龍岡城(たつおかじょう)
■別名
龍岡五稜郭、桔梗城、田口陣屋
■所在地
長野県佐久市田口
■見ごたえ
★★★★
■築城年
元治元年(1864)
■廃城年
明治4年(1871)
■築城者
松平乗謨
■主な城主
大給松平氏
■天守
なし
■城分類
稜堡式
■遺構
曲輪、櫓、石垣、土塁、横堀(水堀)
■指定文化財
国史跡
■歴史(チャットGPTより)
龍岡城(たつおかじょう)は、長野県佐久市田口に位置する日本で数少ない五稜郭形式の城郭として知られています。日本の城といえば天守や石垣を持つ山城・平城が多い中、龍岡城は西洋の築城技術を取り入れた星形要塞であり、その独特の姿から「小諸の五稜郭」あるいは「田口の五稜郭」と呼ばれてきました。函館の五稜郭と並び、国内に現存する二つの五稜郭のひとつとして高い歴史的価値を持っています。
龍岡城の築城は幕末の動乱期にあたる文久3年(1863年)、大給松平家の松平乗謨(のりかた)によって命じられました。乗謨は譜代大名で、三河国大給(現在の愛知県豊田市)を本貫とし、信州佐久地方に田野口藩として所領を与えられていました。ちょうどその頃、日本はペリー来航以降の開国と外国勢力の進出に揺れており、西洋式の軍備や築城技術を取り入れることが急務とされていました。乗謨は江戸幕府陸軍総裁を務めた人物であり、西洋の軍制や築城術に精通していたため、領地防衛の拠点として五稜郭様式の城を選んだのです。
城の設計にあたっては、江戸の蕃書調所で学んだ蘭学の知識や、フランス築城技術の影響を受けたと考えられています。星形の五角形に突き出した稜堡を備え、敵の侵入を防ぎつつ効率的に銃火器を使用できる構造は、従来の日本式城郭には見られないものでした。ただし、函館五稜郭のような大規模なものではなく、龍岡城は比較的小規模で、外郭や堀は一部未完成のまま残されました。そのため、完全な要塞城というよりは、西洋化を象徴する実験的な城であったといえます。
築城は慶応2年(1866年)頃に一応の完成をみましたが、わずか数年後の明治維新によって城郭の役割は急速に失われます。戊辰戦争が勃発すると、松平乗謨は幕府に近い立場でありながら、戦乱の広がりを避けるために恭順を選び、龍岡城は実戦の舞台となることはありませんでした。結果として、築かれたばかりの五稜郭はほとんど使われることなく、明治新政府によって廃城となります。
明治時代に入ると、城の建物は取り壊され、石材や木材は他所に転用されました。しかし、堀と土塁はそのまま残り、星形の縄張りも崩されることなく維持されました。城跡はその後、学校用地や農地として利用され、現在は佐久市立田口小学校の敷地として使われています。小学校の校舎の背後に広がる五稜郭の土塁と堀は、学び舎と歴史遺産が共存する特異な景観を形作っています。
また、龍岡城は函館五稜郭に比べ規模は小さいものの、現存する星形城郭として学術的価値が高く、昭和9年(1934年)には国の史跡に指定されました。現在も堀や土塁の形状がよく保存され、航空写真で見ると星形がはっきりと確認できます。周囲には城址公園として整備された部分もあり、春には桜が咲き誇り、訪れる人々を楽しませています。
龍岡城を築いた松平乗謨は、単なる地方大名ではなく幕末の中央政治にも深く関わった人物でした。彼は陸軍総裁として、洋式軍制を取り入れる幕府の近代化政策を推進しました。龍岡城の築城は、そのような幕末の時代精神を体現したものであり、日本の城郭史においても特異な存在となっています。従来の城が刀槍や弓矢を想定して造られたのに対し、龍岡城は銃や大砲を用いた戦闘に備えた設計であり、戦国時代以来の城郭の進化の最終段階を示す遺構ともいえるのです。
しかし、皮肉にもその実力を発揮することなく、近代国家建設の中で廃されました。けれども、その星形の姿は150年以上を経た今もなお佐久の地に残り、幕末から明治へと移り変わる日本の時代の象徴として静かに語りかけています。
現在、龍岡城は観光地として訪れる人も多く、歴史ファンや城郭研究者にとっては貴重な学びの場となっています。小学校の子どもたちが日々過ごす校庭の背後に、西洋の築城術を取り入れた星形要塞が眠っているという不思議な光景は、地域の人々にとっても誇りであり、未来に残すべき歴史遺産といえるでしょう。
■場所
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■城巡り記録
2025年8月4日
2025年夏に行きたかった龍岡城にやっと行けました。
函館以外に五稜郭があるなんて知りませんでしたよ。
さっそく続100名城スタンプを押すため、出会いの館を訪れます。
しかし、あいにく一時休館中。
それにしてもこんな夏休み期間に工事しなくても良いと思うが、この期間しかなかったのだろうか。
スタンプは外に設置されており何とか押すことが出来ました。
ご城印は購入できずです。
さっそく五稜郭内へ。
水堀がしっかり作られていますが、幅が狭いですね。
この時期であれば鉄砲の弾が届かない距離の幅が取られているはずですけど、どういうことなのでしょうか。
中は廃校になった田口小学校が建っていました。
体育館から吹奏楽の練習している音が聞こえたので、まだ建物は使っているんですね。
お堀を渡るための橋は複数かかっています。
大手門から反時計回りの方の橋を渡ると片側は水堀になっていましたが、もう一方は埋め立てられていました。
五稜郭ですが、現在は完全な星型ではないようです。
こちらで現存する木造の大きな建物が、料理を作っていた御台所だそうです。
建物が立派ですね。
やはりこれだけではこの龍岡城を堪能したことにはならない。
せっかくバイクで来ていたので、展望台から見ることにしました。
道は当初であいの館で教えてくれると信じてあまり調べてこなかったため、どこから行くか分からず。
とりあえずGoogle先生を信じて進んでいます。
結構遠回りをして山の後ろの方から入る感じになりました。
しかし、この道が正解のようです。
さらにそこから林道へ。
車が通れて駐車場もあるとの事でしたが、これはびっくり。
かなりきついです。
バイクだととくに車の轍をうまく活用しないと危ない。
予想以上に大変でした。
車で行くことも辞めた方が良いですが、バイクはもっとやめておいた方が良さそうです。
写真は撮る余裕がある場所なので、この倍はひどい道です。
何処に駐車場があるか分からず、展望台の案内があったので近くに止めて歩きます。
そこそこの山道ですが、100mと短いので何とかなります。
しかし、熊が出そうで怖いですね。
木の間に景色が見えてきました。
展望台に到着です。
見てみるとしっかりと五稜郭の星形が分かりました。
特に後ろ側はしっかりとした星形になっていないので、この角度がベストですね。
やはり五稜郭は上から見て初めて良さが分かりますね。
来て良かったです。
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