「苗木城」29城目@続100名城 #岐阜県

■城名
苗木城(なえぎじょう)

■別名
霞ヶ城、赤壁城、高森城

■所在地
岐阜県中津川市高森山

■見ごたえ
★★★★★

■築城年
天文年間(1532〜1555)

■廃城年
明治4年(1871)

■築城者
遠山直廉

■主な城主
遠山氏、森氏、川尻氏

■城分類
山城

■遺構
曲輪、石垣、横堀(空堀)、井戸

■指定文化財
国史跡

■歴史
標高約432メートルの城山に築かれており、「空中城」ともよばれてきました。天然の岩盤に巧みに石垣を積み上げた独自の城郭は全国的に有名です。

苗木城の歴史は、戦国時代の1532年(天文元年)頃に苗木遠山氏によって築城されたというのが最も有力です。苗木遠山氏は美濃国東部に勢力を広げた遠山一族の分家にあたります。苗木城は地の利もよく、木曽川の流域という戦略上重要な位置にあったという理由もあり、小城ながら難攻不落の要塞に発展しました。

戦国時代後期には武田氏、織田氏、豊臣秀吉、徳川家康という大大名が周辺に影響力を及ぼしました。苗木城もまた、この時代の渦中にあって数奇な運命に翻弄された城です。武田氏滅亡後、織田信長配下の森長可(ながよし)が城主に就き、その後、川尻秀隆、遠山友政という城主に変わっていきます。

関ヶ原の戦い(1600年)後、苗木遠山氏の遠山友政は徳川家康の東軍に従って戦果を上げ、苗木領1万石の大名に封じられます。以後、遠山氏が世世にわたって苗木城主を務め、明治時代に到達しました。

苗木城の大きな特徴は、「天然の岩盤+人工的な石垣」で構築された独自の城郭という点です。城内の大岩に柱を差し込み、建物の基礎にするというユニークな工法も用いられていました。「苗木城遠山資料館」も近くに設置され、城の歴史にまつわる数多くの資料を見ることができます。

明治時代の廃城令により、苗木城は解体され、城内の建物も撤去しました。その後、地元の有志によって城跡の保存運動が展開。近世城郭の魅力を後世に伝えています。現在、苗木城跡は国指定史跡に指定され、展望台も設置。城跡から臨む木曽川の渓谷美、中津川の町並み、御嶽山の遠望は格別です。

苗木城は、小城ながら地理条件に恵まれ、数世代にわたって地域の実力者により守り継がれてきました。その歴史に触れてみることで、戦国時代から近世にかけて移ろう世の中のダイナミズムもまた身近に感じることができます。

■ご城印

 

■場所

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■城巡り記録

2025年6月6日

岩村城の次に立ち寄ったので、若干感動は落ちるかなと思ったのですが、いやいや全然素晴らしい。

なんなら、苗木城の方がすごかったです。

まぁ比べるものではないのですけど。

坂道をどんどん上っていきます。

やっと足軽長屋前までついたなぁと思ったら撮影スポットの文字が。

景色が良いのかと思ったら、びっくり苗木城が目の前にありました。

これはすごいですね。

岩山の上にかっこよくそびえ立っています。

ゆっくり近づいていきます。

この石垣も良いですね。

これが天然の岩の上に作られた石垣です。

かっこいい。

道は整備されていて歩きやすいです。

上からは恵那峡が綺麗に見えます。

そして、先ほど通ってきた大矢倉跡なのですが、カッコいい。

メキシコのピラミッドのような感じがします。

本丸に築かれた展望台も趣があってよいですね。

そしてなにやら橋を作っています。

これ以上巨大公共物は要らないだろうと思っていたら、これはリニアモーターカーの箸なんですね。

それは必要だ。

 

見ごたえ満点のお城でした。

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