「万喜城」101城目@日本の城 #千葉県

■城名
万喜城(まんぎじょう)

■別名
万木城、万騎城、富山城

■所在地
千葉県いすみ市万木字城山

■見ごたえ
★★★

■築城年
応永19年(1412)

■廃城年
天正18年(1590)

■築城者
土岐時政

■主な城主
土岐氏

■城分類
山城

■遺構
曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸

■指定文化財
市史跡

■縄張
東西約500m、南北約800mの規模(推定)

主郭は東西40~80m、南北190m程度

東西と北側は夷隅川沿いの崖に囲まれた自然の要害

■歴史
●創建
伝承では、応永年間(1394年~1428年)に摂津国から移住した土岐時政によって築かれたとされる。
ただし、上総土岐氏の系譜には不明点が多く、築城者・築城年代は不確か。

●上総土岐氏の時代
土岐頼元が明応年間(1492年~1501年)前後に活躍。
土岐氏の菩提寺「海雄寺」を創建。
土岐為頼の代に、里見義堯と婚姻関係を結ぶ。
しかし、第二次国府台合戦(1564年)で里見氏が敗れると、北条氏に寝返り以後は一貫して北条方に。

●里見氏との抗争
天正16年(1588年)~天正18年(1590年)にかけて、里見氏による三度の攻勢(万喜・長南合戦)を受ける。
いずれも土岐氏が勝利。
この頃、土岐頼春(為頼の子)が当主。

●小田原征伐と滅亡
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐で北条氏に与したため、徳川家康配下の本多忠勝軍により万喜城は落城。
米蔵跡から焼米が出土しており、焼き討ちがあったとされる。
土岐氏は滅亡。

● 廃城とその後
従来、万喜城はこの時に廃城になったと考えられてきたが、近年の研究により新説が浮上。
天正19年(1591年)頃までは本多忠勝が一時的に居城していたとする文書が確認されており、忠勝が大多喜城に移るまでの間、万喜城を使用していた可能性が高い。

■ご城印

■場所

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■城巡り記録

2025年3月14日

田畑の中に小高い丘が見え、その上に天守らしきものが建っています。

ここが万喜城です。

近づいてみると天守らしき建物はややほっそりとしています。

なんか土台の方が柱だけのような・・・。

見事に柱だけでした。

階段が設置されているので、見晴らし台として使われています。

そこからの眺めは非常に良いです。

四方が低地になっているので遠くまで良く見えます。

まぁ見事なまでに田畑ですけどね。

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