
■城名
多賀城(たがじょう)
■別名
多賀柵
■所在地
宮城県多賀城市市川字城前
■見ごたえ
★★★★
■称号
日本100名城
■築城年
神亀元年(724)
■築城者
大和朝廷
■主な城主
大野東人
■城分類
平山城
■遺構
政庁跡、築地跡、門跡、土塁、横堀(空堀)
■指定文化財
国特別史跡
■歴史
多賀城は、奈良時代に平城京の律令政府が蝦夷支配のための軍事拠点として建設した城であり、平時は陸奥国府として機能しました。創建は神亀元年(724年)で、按察使・大野東人によって築かれました。8世紀初頭から11世紀半ばまで存続し、4回の造営を経ています。
多賀城の変遷
第1期(724年 – 762年)
初期の建設期。周辺の統治拠点として機能。
第2期(762年 – 780年)
天平宝字6年(762年)に藤原恵美朝狩が改修。しかし、**宝亀11年(780年)**に伊治呰麻呂の反乱で焼失。
第3期(780年 – 869年)
再建されるも、貞観11年(869年)の貞観地震と津波で壊滅的な被害を受ける。
第4期(869年 – 11世紀半ば)
復興を果たし「多賀国府」として機能するも、11世紀には国府の役割が低下。
延暦21年(802年)には坂上田村麻呂が蝦夷討伐を行い、戦線の移動に伴い鎮守府が胆沢城(岩手県)へ移転しました。その後も軍事拠点として機能し、前九年の役(1051年 – 1062年)、後三年の役(1083年 – 1087年)にも関わりましたが、承徳元年(1097年)に陸奥国府が焼失し、国府としての機能を失いました。
中世以降の多賀城
鎌倉時代には奥州合戦(1189年)を経て、鎌倉幕府の支配下に。南北朝時代には後醍醐天皇の建武政府が陸奥将軍府を設置し、北畠顕家らが統治しました。その後、多賀城の重要性は低下しました。
発掘調査と文化遺産
1961年から発掘調査が始まり、1966年に国の特別史跡に指定。政庁域や寺院跡が確認され、2022年には城前官衙の復元が完了、2023年には南門の木造復元が完了しました。
多賀城は、奈良時代の東北支配の中心地であり、後世にも影響を与えた歴史的拠点として、その遺跡が大切に保存されています。
■場所
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■城巡り記録
2025年2月13日

雪が降る中、多賀城に行ってきました。
駅は国府多賀城駅。別に多賀城駅もあるのですが、こちらは結構遠いです。
始めに間違えて旅行計画を立てていました・・・。

駅降りてすぐの案内所は冬期休暇。
まぁそうでしょう。
でも、ちゃんとパンフレットは置かれていて助かりました。

駅降りてすぐのところに、舘前遺跡があります。
そこを突っ切ってさらにサッカー場とかの横を歩いていくと多賀城に着きます。

それにしても広大な土地ですね。
よく何も作られずに残っていたものだと思います。

少し歩くと再建中の多賀城外郭南門がありました。

戦国時代以前の建物なので、このように再建してもらえた方がイメージがついて良いと思います。

今後も多くの建物が再建されることを期待したいですね。



そしていよいよメインの多賀城メインストリート。

南大路跡ですが、広くまっすぐな道です。
中国をイメージさせます。


緩やかな石階段も良い感じです。


成長復元模型を見ながら、当時の情景をイメージします。

この石畳ではどんなことがあったのでしょうか。

そして、近くの管理事務所で100名城スタンプをもらいます。

ちゃんと事務所前に備え付けられていたので助かります。
それにしても、100名城なのに人が全くいませんでした。
今後整備されて有名になっていく事を期待しています。
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