■城名
本庄城(ほんじょうじょう)
■所在地
埼玉県本庄市
■見ごたえ
★★
■築城年
1556年(弘治2年)
■廃城年
1612年(慶長17年)
■築城者
本庄実忠
■主な改修者
小笠原信嶺
■主な城主
本庄氏、小笠原氏
■城分類
平城
■歴史
本庄城は、石垣の城ではなく、天守も存在しない、典型的な戦国期関東の城郭形式でした。築城は1556年(弘治2年)、本庄宮内少輔実忠によって行われ、元々の本拠地であった東本庄館から移されたものです。築城目的については諸説あり、例えば、古河公方家を迎え撃つための防御拠点としての説があります。
1567年(永禄10年)、本庄城は北条軍によって攻められ一度落城しましたが、本庄氏が降伏し、後北条方に服属することで城を回復。その後、実忠の死後に家督を継いだ本庄隼人正近朝が城主となりました。しかし、1590年(天正18年)に本庄氏は豊臣秀吉と対立し、小田原城に籠城しますが開城し、近朝は自害。本庄城も同年に落城し、約34年にわたる本庄氏の支配は終焉を迎えました。
地理的には、久城堀と呼ばれる凹地を中心に築かれ、周辺の自然地形を巧みに利用した要害地でした。本庄城址は現在の本庄3丁目5番、城山稲荷神社周辺にありましたが、当時の城域はさらに広範囲にわたっていたとされています。
天正18年の北条氏滅亡後、徳川家康の命により小笠原掃部大夫信嶺が本庄に封じられ、本庄城は再建されましたが、1612年(慶長17年)には廃藩となり、城も廃城となりました。
本庄城の城郭構造は、石垣ではなく土塁と板塀、櫓を備えたもので、天守はありませんでした。本丸にあった館は、今日のお寺の本堂のような形式で、1万石の小大名にふさわしい規模の城でした。
■遺構
土塁、空堀
■指定文化財
市史跡
■場所
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■城巡り記録
2024年7月28日
本庄城址は現在は稲荷神社になっていますが、石碑や説明版などもちゃんとあります。
まっすぐな参道を進んでいくと数メートル下がったところがあり、そこが本丸であったようです。
現在は神社がありますが、その目の前に築城時に植えられたといわれているケヤキの木があります。
ものすごい大きいですが、幹の中が空洞になっています。
これはもう枯れてしまっているのではと思ったのですが、上の葉っぱを見るとまだ生き生きとしていました。
地元で愛される場所なんだと思います。
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