■城名
引間城(曳馬城)
■所在地
静岡県浜松市中区元城町
■見ごたえ
★★☆
■築城者
今川氏親
■城分類
平城
■歴史
1.築城と飯尾氏の時代:
曳馬城は大永年間(1521年-1528年)に今川氏親によって築かれました。
氏親の家臣である飯尾賢連が城主となり、以後、飯尾氏の居城となりました。
2.桶狭間の合戦と滅亡:
曳馬城は永禄3年(1560年)の桶狭間の合戦で今川義元が討死するという出来事があります。
永禄8年(1565年)、城主飯尾連龍は今川氏真から叛旗の疑いをかけられ、謀殺されました。
3.徳川家康の攻撃と浜松城への改称:
永禄11年(1568年)、徳川家康が曳馬城を攻め、飯尾氏は滅亡しました。
家康は元亀元年(1570年)に岡崎城から居城を曳馬城へ移し、城を大改修して「浜松城」へと改称しました。
この出来事によって、曳馬城は飯尾氏の滅亡と徳川家康による浜松城への改築・改称が結びついた歴史的な要素を持っています。浜松城はその後、家康の拠点として栄え、現在でもその歴史的な遺構が一部残されています。
■遺構
曲輪
■ご城印
■場所
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■城巡り記録
2023年8月22日
浜松城に行った後、すぐ近くの引間城にも立ち寄りました。
引間城が今川家時代のお城で、その後浜松城を築城したときに場所が少し移動したので、浜松城の一部ではありますが、同じ本丸の場所ではないようです。
せっかく浜松城まで来たのであれば、引間城にも立ち寄りたいですね。
こちらはしっかりとしたご城印所が設置されています。
ご城印は家康と椿姫の2種類が用意されています。
この時椿姫のことは知らなかったので、家康のご城印にしましたが、椿姫は今川の家臣である
飯尾連龍の妻として、飯尾連龍が死んだ後も引間城を守り、家康の説得にも応じず、最後は討ち死にしたそうです。
この話を知っていたら、椿姫の方のご城印にしたかもしれません。
そんな引間城の跡地は、東照宮となっています。
家康を祀っている場所ですが、日光などの東照宮と違いひっそりとした場所です。
神社の脇には徳川家康と豊臣秀吉の銅像があり、真ん中の出世の街浜松と書かれた場所に立って記念撮影が出来るようになっています。
息子を立たせて記念撮影しましたが、なかなか良い感じでした。
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