■城名
要害山城(ようがいやまじょう)
■別名
要害城、積翠山城
■所在地
山梨県甲府市上積翠寺町
■見ごたえ
★★★
■築城年
永正17年(1520)
■廃城年
慶長5年(1600)
■築城者
武田信虎
■主な改修者
武田勝頼、加藤光泰
■主な城主
武田氏、徳川氏、加藤氏
■城分類
山城
■縄張
躑躅ヶ崎館(武田氏館跡)の詰城として築かれた山城です。
甲府盆地周縁の中央北部、相川扇状地の扇頂部に位置する甲府市上積翠寺町(かみせきすいじまち)にあって、標高780メートルの要害山中腹の傾斜地を中心に築かれています。
■歴史
武田氏は前年に居館を石和の川田館(甲府市川田町)から躑躅ヶ崎館(甲府市古府中町)へ移しており、駒井政武の領地であった積翠寺郷の丸山が城として取り立てられ、館の詰城として砦や狼煙台が築かれました。
同年には駿河の今川氏勢の武将福島正成が駿州往還(河内路)を甲斐へ侵攻し甲府へ迫っており、信虎は正室の大井夫人を避難させ福島勢を駆逐していますが、大井夫人はその最中に城中で嫡男(後の武田晴信)を出産しました。
武田氏滅亡後、徳川氏の支配期を経て豊臣系大名が入城し、加藤光泰により修築が行われました。
文禄年間の修築を示す遺構として穴太積みの石垣が見られます。
『甲斐国志』によれば、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後に甲斐は再び徳川氏が領し、廃城となりました。
■遺構
曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀(空堀)、竪堀
■指定文化財
国史跡
■場所
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■城巡り記録
2023年8月6日”
武田信玄の父、信虎のお城で、信玄が産まれた場所とされています。
武田信玄の居城である躑躅ヶ崎館は武田神社としても知られていて、甲府駅から直線上にあり有名ですが、こちらの要害山城は山城ということもあり、あまり来る人がいないのかと思います。
躑躅ヶ崎館から上り坂をバイクでひたすら上っていきます。
どんどん険しくなっていき、そろそろかなと思ったところが、要害山登山口でした。
そこからいきなり山道となり蜘蛛の巣がかなり顔にかかって嫌な感じです。
それほど高い山ではないので、ひたすら登っていきます。
途中竪堀、門跡があり、門跡は左右がしっかりとした土塁となっていて、実際に門があったらかなり堅牢な場所だろうと想像できました。
曲輪はそれほど大きくないものが幾重にも連なっている感じです。
木の間から甲府の街が見えました。
昔もここから城下町を見ていたのだと思います。
本郭では信玄生誕の地の石碑やらがあります。
こちらもそれほど広くはありませんが、周りがしっかりと土塁で盛り上げられており、堅牢な山城出会ったことが推察できました。
さすが武田氏と思わせる詰城です。
ちなみにすぐとなりに熊城という支城がありますが、熊の出没もあり、名前もそのままなので、怖くなって行きませんでした。
何しろ、こちらの要害山城でさえ上って降りてくるまでに登山者は1人しか会いませんでしたから、熊城は更に行く人が少ないと思います。
近年熊の出没が増えているようですし、山城は熊に注意も必要ですね。
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