■城名
沼田城(ぬまたじょう)
■別名
蔵内城、倉内城
■所在地
群馬県沼田市西倉内町
■見ごたえ
★★★
■築城年
天文元年(1532)
■廃城年
天和2年(1682)
■築城者
沼田顕泰
■主な改修者
真田信幸
■主な城主
沼田氏、本庄氏、猪俣氏、真田氏
■天守
非現存
■天守構造
型式不明[5重/1600年築/破却]
■城分類
丘城
■縄張
群馬県沼田市倉内にあり、利根川と薄根川の合流点の北東、河岸段丘の台地上に位置する丘城。
二つの川側は約70mほどの崖となっており、典型的な崖城です。
沼田は北関東の要衝であり、軍事上の重要拠点として上杉氏・後北条氏・武田氏といった諸勢力の争奪戦の的となりました。
本能寺の変後は真田信幸の支配城として、後北条氏と争いました。
■歴史
崖上の台地に最初に城を築いたのは、鎌倉時代以来この地方の有力者であった沼田氏の12代万鬼斎顕泰で、天文元年(1532)の頃であるといわれています。
天正8年(1580)、武田勝頼の命により沼田に進出した真田昌幸は沼田城を攻略し、さらに翌9年には沼田城の奪還に来攻した沼田平八郎景義を謀殺して沼田氏を滅亡させました。
これ以後、この地の領有を主張する後北条氏とこれに応じない真田氏との間に沼田城をめぐって攻防が続きましたが、天正18年(1590)に後北条方が真田方の名胡桃城を攻略したことが契機となり、後北条氏は豊臣秀吉の小田原城攻めにより滅亡しました。
秀吉は真田昌幸に対し信濃2郡と利根・吾妻の旧領を安堵し、天正18年(1590)に昌幸の嫡子信之が沼田領2万7千石の城主となり、慶長年間に五層の天守閣を建造しました。
天和元年(1681)に真田氏5代城主伊賀守が徳川幕府に領地を没収され、翌2年1月に沼田城は幕府の命により破却されました。
■遺構
曲輪、土塁、横堀、石垣、移築門
■指定文化財
県重要文化財(城鐘)、市史跡(沼田城跡)
■ご城印
■場所
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■城巡り記録
2023年7月28日
沼田氏の収める沼田城はこの辺一体の本城であり、武田・上杉・北条が争った場所です。
秀吉により一旦沼田城は北条氏のものとなりましたが、小田原攻めの後は真田氏のものとなります。
真田昌幸の子である信之が城主となり収めた場所で、信之といえば真田幸村(信繁)の兄であり、本多忠勝の娘で徳川家康の養女となった小松姫を妻に持っています。
沼田城には真田信之と小松姫の像があり、仲の良さを伺わせます。
ほんまるあとには復元された鐘楼がそびえ立っていて、沼田城の象徴となっていました。
ほかにも西櫓台跡の石垣が保存されており、この先がかなりの崖になっています。
沼田氏のお城はどこか一方が崖になっている場所を縄張りとしている物が多いと感じました。
帰りに沼田氏観光案内所により続100名城スタンプを押します。
本日、名胡桃城、岩櫃城、沼田城の上州真田三名城を回ったので、そちらのスタンプを見せるとクリアファイルをもらえました。
せっかくだったので、沼田城のTシャツも購入してしまいました。
群馬の真田の城を堪能させてもらいました。
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