■城名
立川氏館跡
■別名
立川城
■所在地
東京都立川市柴崎町4-20-46(普済寺)
■見ごたえ
★★
■称号
都史跡
■築城年
鎌倉時代
■築城者
立川氏
■主な城主
立川氏
■城分類
館
■縄張
現在は玄武山普済寺になっています。
本堂の東側に高さ約2m、長さ約40mの土塁があり、「立川氏館跡」と伝えられています。
■歴史
立川氏は、武蔵七党のうちの西党の日奉氏の末裔とされ、鎌倉幕府による歴史書『吾妻鏡』に初めてその名が記されます。室町時代になってからの立川氏の記録は不明であり、15世紀前半には一時的に没落したと考えられています。
しかし、戦国時代に入ってからは復活を果たし、小田原北条氏に従う家臣として活躍しました。
豊臣秀吉による小田原征伐の際には、主君とともに八王子城に籠城していましたが、攻め落とされて滅亡したと伝えられています。
その後、立川氏は水戸藩徳川家に仕えることになり、再び復活を果たしました。
ただし、『吾妻鏡』に登場する立川氏と、戦国時代に出現した立川氏との関係については不明な点が残されています。
■遺構
土塁、堀
■場所
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■城巡り記録
2023年1月9日”
立川駅から少し離れた場所にある立川氏の館跡に行ってきました。
現在は普済寺となっていて、こちらも素晴らしいお寺です。
文化財案内板には立川氏館跡の記載もありました。
お寺は広く、建物も立派です。
遺構は土塁と堀とのことで、土塁を捜してみるとありました。
土塁の場所には立川氏の館跡のみが記載された説明番があります。
土塁には木々も生えて大きくなっており、一見土塁だと気が付かないかもしれません。
でも、不自然に寺の周りに土が高く盛られているのを考えると、やはり土塁なのでしょう。
落ち着いた良い場所でした。
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