■城名
榎下城(えのしたじょう)
■別名
久保城
■所在地
神奈川県横浜市緑区三保町
■称号
ご城印のある城
■築城年
永享年間(1429〜1441)
■廃城年
–
■築城者
上杉憲清
■主な改修者
–
■主な城主
上杉氏、北条氏
■天守
–
■天守構造
–
■城郭構造
連郭式
■城分類
平山城
■縄張
現在は久保山舊城寺(旧城寺)の境内となっています。
恩田川氾濫原に面した舌状台地の先端に占地し、近辺の眺望に優れるとされ、北方低湿地との比高差は約7メートルあります。
■歴史
永享年間(1429年-1441年)、上杉憲清により築かれます。
永享10年(1438年)に勃発した永享の乱の際には、憲清の子憲直が足利持氏方として拠りました。
幕府方に攻められた憲直は榎下城から退きましたが、上杉憲実方に追われ、称名寺において子の憲家と共に自害しました。
戦国時代後期の後北条氏支配下の時期には、後北条被官「山田右京之進」の居城であったとする伝承があり、城西隣の畑には右京之進のものとされる五輪塔がありました。
後北条氏時代には、小机城の出城として利用されました。
城域に佐藤小左衛門氏が隠居所を建て、更に慶長8年頃(1603年)舊城寺(旧城寺)を開基しました。
このため城域は境内地となり開発等の改変を受けず、前後2面の曲輪や土塁などの遺構が比較的良く保存されていることが特筆すべき点とされます。
■遺構
曲輪、土塁、横堀(空堀)
■ご城印
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■城巡り記録
2021年12月15日
中山駅から5分くらい歩いた場所にあると思うのですが、見事に迷いました。
ご城印があるので、ある程度整備されている場所なのかなぁと思っていたのですが、案内も何もありません。
危うく民家に入りそうになってしまいました。
現在は舊城寺(旧城寺) になっているとのことですが、このお寺の入り口が分からなかったんです。
で、正門ではないと思いますが、最も近い横道から何とか入ることが出来ました。
境内です。
もう立派なお寺ですね。
ここがお城の跡だとは思いません。
でも、入り口付近に案内板がありました。
場所が合っていてよかったです。
案内板の後ろには立派な木があります。
よく見ると周りに数本の大木がありました。
なるほど。
この辺の雰囲気は城址といった感じです。
「国破れて山河あり 」という詩が頭の中に浮かびました。
この辺にお城が築かれたのは600年前です。
周りに土塁のように土が盛られているのが遺構でしょうか。
600年前の風景を思い浮かべてみると面白いです。
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