「師戸城(もろとじょう)」5城目@日本の城 #千葉県

2021年11月18日

■城名
師戸城

■所在地
千葉県印西市師戸竜ノ谷756他

■称号
御城印のある城

■別名
龍ヶ谷城

■築城年
鎌倉時代

■廃城年
天正18年(1590)

■築城者
不明

■主な改修者

■主な城主
師戸氏

■天守
なし

■城郭構造

■城分類
平山城

■縄張り
臼井城の北、印旛沼を挟んだ先にある臼井城の支城
台地の南端を切り離すように深い空堀が巡らされ、現在は三つの曲輪が残っています。
南北に大きく分かれた曲輪の南側が更に東西に分かれています。

■歴史
臼井城の支城として14世紀(鎌倉末期ごろ)に築城されたと考えられます。
臼井四天王のひとりであった師戸四郎が居城していたといわれています。
印旛沼の対岸にある臼井城とは「渡し」で結ばれ、臼井城の防衛に大きな役割を果たしており、1479年(文明11年)の太田持資・資忠、1566年(永禄9年)の上杉謙信による臼井城攻撃を防ぎました。
しかし、1590年「小田原の役」で豊臣秀吉勢の徳川軍が攻撃し落城。
徳川家康家臣・酒井家次が3万石で臼井城入封しますが、1593年に城内で火事、1604年には酒井家次が上野国高崎藩に移封となったので臼井城は廃城となります。

■見どころ
曲輪、土塁、横堀(空堀)

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■城巡り記録

2021年11月18日

臼井城に行った後、印旛沼を超えて師戸城に行きました。

印旛沼を近くで初めて見ましたが、非常に大きな沼ですね。

沼なのか、池なのか、違いがよく分かりませんが、広いということは分かりました。

印旛沼を超えて少し上ったところに、印旛沼公園があります。

この公園がもともと師戸城であった場所となります。

出来れば師戸城址公園という名前にしてもらいたかったなぁと思いますが。

小高い丘の上にあるお城ですので、景色はよさそうだなぁと思っていたのですが、それ以上にしっかりと城跡が残っていてびっくりしました。

空堀が深く残っていて、しっかりと柵で保護されています。

その空堀の周りを歩きます。

予想通り景色は非常に良かったです。

その先に少し高くなっている場所がありました。

階段が見えてきます。

この階段を上ると二の丸になります。

二の丸と本丸はつながっています。

かなり広い場所でした。

ここから印旛沼をきれいに見ることが出来ます。

ちゃんと見晴らし台として整備されています。

公園としてベンチもしっかり整っていますし、非常に良い場所だと思いました。

この見晴らし台には師戸城の説明が書かれた石碑もありました。

そして、本丸や二の丸などの縄張図もしっかり記載されています。

この本丸・二の丸と三の丸の間の空堀が深く、素晴らしいです。

当時はさらに深く角度も鋭かったと思われ、攻めづらさが想像できます。

三の丸は野球場などが整備されていました。

非常に魅力的な城跡でした。

今後もしっかりと残してもらいたいです。

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