■城名
竹田城(たけだじょう)
■別名
虎臥城、安井ノ城
■所在地
兵庫県朝来市和田山町竹田字古城山
■見ごたえ
★★★★★
■築城年
永享3年(1431)
■廃城年
慶長5年(1600)
■築城者
山名宗全
■主な改修者
羽柴秀長、赤松広秀
■主な城主
太田垣氏、羽柴秀長、赤松広秀
■天守 不明
(天守台あり)
■城郭構造
梯郭式
■城分類
山城
■遺構
曲輪、石垣、竪堀、堀切、井戸
■指定文化財
国史跡
■歴史
兵庫県朝来市にある竹田城は、「天空の城」や「日本のマチュピチュ」と称されるほど美しい景観で知られる山城であり、その築城から廃城に至るまで、激動の戦国史をたどってきました。
築城の正確な時期は明確ではありませんが、江戸時代末期に成立した『和田上道氏日記』によれば、嘉吉年間(1441〜1443年)に但馬国守護・山名宗全(持豊)が、丹波と播磨の国境にあたる竹田の地に「安井ノ城(竹田城)」を築いたと伝えられています。初代城主にはその家臣太田垣光景が任命され、以後太田垣氏は戦国末期までおよそ140年間にわたりこの地を治めました。
嘉吉元年(1441年)、室町幕府6代将軍・足利義教が播磨守護・赤松満祐に暗殺される「嘉吉の乱」が勃発。幕府の追討軍に加わった山名宗全は但馬から播磨へ侵攻し、満祐を滅ぼします。その後、竹田城は播磨制圧の前線拠点としての役割を担い、太田垣氏が守護代としてその支配を強めていきました。
戦国時代に入ると、応仁元年(1467年)から始まる応仁の乱では、山名氏と細川氏が但馬で激しく衝突。竹田城も軍事拠点として重要な役割を果たし、赤松氏や細川軍との合戦が繰り広げられます。その後も竹田城は、播磨・但馬の境にあって両国を巡る抗争の要地としてしばしば争奪の対象となりました。
安土桃山時代になると、出雲の尼子氏を巡る毛利氏と織田氏の抗争が激化し、織田信長は家臣の羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)を播磨へ派遣。天正5年(1577年)には秀吉の弟・羽柴秀長が但馬へ進軍し、竹田城は短期間で陥落。竹田城主の太田垣輝延は降伏し、太田垣氏による支配は終焉を迎えました。
その後、竹田城には秀吉の与力・桑山重晴が入り、大規模な石垣の改修を行います。この時に整備された穴太積みの石垣が、現在私たちが目にする竹田城の姿の基礎となっています。
秀吉の全国統一の流れの中で、竹田城は豊臣政権下の重要拠点の一つとなり、山陰地方への軍事的・行政的な支配の橋頭堡となります。豊臣家の重臣たちが順次配置されましたが、関ヶ原の戦い(1600年)を境に情勢は一変します。
竹田城最後の城主となった斎村政広は、西軍に属して丹後の田辺城を攻めましたが、西軍敗北後は東軍に転じて鳥取城を攻め落とします。しかし、その際の城下大火の責任を問われ、同年10月、徳川家康の命で切腹。竹田城は家康の命により山名豊国が受け取り、ほどなくして廃城となりました。
■ご城印
■場所
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■城巡り記録
2025年7月11日
天空の城、竹田城に行ってきました。
竹田城といえば雲海。
雲海の出ている早朝に山登りして見に行くと良いそうなのですが、流石にそれを待っているといつまで経っても行けなそうだったので、このタイミングで行くことに。
本当は昨年村岡ダブルフルマラソンの前日に行ければと思っていたのですが、かなり本気モードだったので前日の遊びは無しにしました。
今回は姫路でレンタルバイクを借りて、楽しく行きました。
レンタルバイク自体も初めてですし関西方面をバイクで走るのも初めて。
竹田城に向かう高速は空いていて非常に気持ちよく走ることが出来ました。
そして竹田城へ。
手前の山城の郷でバイクを止めます。
これより先はバスかタクシーでしか行けないそうです。
観光案内所に立ち寄りまず100名城スタンプを押印します。
そして、パンフレットを貰いつつ、いろいろと説明を伺いました。
この時期はバスは出ていないので徒歩かタクシーのみになるそうです。
しかも、道は一方通行で、登りはタクシーはワンメーターで700円でいけますが、帰りを利用すると一周回って来ないといけないので3倍の値段がかかるのだとか。
まぁ下りは徒歩が良いだろうということで、行きの上りにタクシーを利用させてもらいました。
道はアスファルトで整備された道で、一方通行なので安心です。
思ったよりもすぐにタクシー乗り場に着きました。傾斜もそれほどきつくなかったので、これなら歩いても良かったかな。
タクシー乗り場を降りてからは少し下ってその後上り。
10分くらいで入場券売り場に到着し、そこからいよいよ竹田城を見学します。
30度を超える真夏の暑さのせいか、観光客はほとんどいません。
それにしても、景色が素晴らしい。
もう石垣がすごい。
本当にこれはすごいですね。
日本のマチュピチュとはよく言ったものです。
すごい遺跡だと思います。
いや、マチュピチュに行ったこと無いですけどね。
石垣が折り重なっている場所は圧巻の景色です。
ここを攻めるのは大変ですね。
それにしてもよくこんな山の上にこれほどの石垣を作れたものです。
どこもかしこも写真映えする素晴らしい場所でした。
帰りは徒歩で降ります。
といっても、歩きやすいアスファルトの道であっという間に山城の郷に着きました。
御城印も購入し大満足でした。
次は雲海のときに、ちゃんと下から登りたくなりました。
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