■城名
郡上八幡城(ぐじょうはちまんじょう)
■別名
積翠城、郡城、八幡城、虞城
■所在地
岐阜県郡上市八幡町
■見ごたえ
★★★★☆
■築城年
永禄2年(1559)
■廃城年
明治2年(1869)
■築城者
遠藤盛数
■主な改修者
遠藤常友
■主な城主
遠藤氏、青山氏、稲葉氏、井上氏
■天守
非現存
■天守構造
独立式層塔型[4重5階/1933年築/木造模擬]
■城分類
平山城
■遺構
曲輪、石垣
■指定文化財
県史跡
■歴史
城下町「郡上八幡」と共に、小京都ともよばれており、日本の城の魅力を余すところなく伝えてくれます。
郡上八幡城は、戦国時代後期に築城された城です。最初に城を築いたのは遠藤盛数(もりかず)という武将でした。盛数は美濃国郡上郡に勢力を広げ、1559年(永禄元年)頃に、この地に城を構えて地域支配の拠点にしました。城は吉田川に臨み、小峠という地形上の要衝に位置しており、周辺の町も城下町として発展していきます。
遠藤氏は戦国時代の動乱に翻弄されます。織田信長の美濃侵攻に伴って織田家に従うようになり、後に豊臣秀吉の配下に転身しました。秀吉時代には遠藤慶隆(よしたか)が城主に任命され、城の近世城郭化も図られていきます。
関ヶ原の戦い(1600年)後、遠藤氏は徳川家康に従います。その後、一時城主は井上氏、青山氏に変わりますが、最終的に青山幸道(よしみち)が城主に封じられ、青山家のもと城下町も安定して発展していきます。青山氏は約100年以上にわたって郡上の地を治め、城も行政の中心地として機能しました。
江戸時代、郡上八幡城の城下町は「水の城下町」とよばれていました。湧水に恵まれて用水路が張り巡らされた町並みも、この時代に整理されたものです。城の周辺には武家屋敷も配置され、城主の権威を内外に示しました。城内には御殿も建てられて行政運用にあたっていました。
明治時代に入り、廃城令によって郡上八幡城も解体されます。城内の建物は撤去して売却され、後世に伝えてこられたものはほんの一部分にすぎません。城の主郭も空地となっていました。
しかし、地元の有志によって再建運動が展開。1933年(昭和8年)、模擬天守が木造により再建され、現在に至っています。再建された天守閣から臨む城下町の町並み、奥美濃の山々、清流吉田川の景観は格別です。
郡上八幡城の魅力は、歴史的背景だけに留まりません。城下町の文化もまた独自に花開き、「郡上おどり」として全国に名を轟かせるようになります。約400年以上続く郡上おどりはユネスコの無形文化遺産に登録された伝統行事です。城下町の町家、用水路、寺院もよく保存しており、城のある町の文化的魅力に厚みを増しています。
郡上八幡城は、小城ながら地理的条件に恵まれ、時世の移ろいや戦国大名の興亡に翻弄された歴史もあって魅力に富んいます。城の最上層から見る町の景色もまた格別です。城下の町も城も、一体となって独自の文化を守り継ぎ、後世に伝えているという点に大きな歴史的価値が認められます。
■ご城印
■場所
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■城巡り記録
2025年6月7日
こちらもなかなか行けないお城、郡上八幡城に行ってきました。
しかもバイクで行ったので、郡上八幡城手前の峠道からきれいなお城を見ることが出来ました。
近づいてみると山の上にお城が建っています。
バイクなのですいすい上ってきたのですが、途中の駐車場でバイクは通行不可に。
車は上っているのにバイクはダメなんて・・・。
まぁ面白そうな道なので、歩いて登ります。
野面積の石垣も非常に良い感じです。
登っていくと石垣が増えてきますが、どれも素晴らしい石垣ですね。
木々の間から見えるお城も良い感じです。
お城の入場券を購入する場所でご城印が売られていました。
さらに郡上八幡の名水で作られたサイダーグミも購入です。
いよいよお城へ。
よくぞ木造で再建してくれたと思わせる非常に良い作りです。
上からの景色も素晴らしいですね。
でもここまで上る階段は結構音がして怖かったりします。
山内一豊の妻の出身地であるとか。
なかなかの名城でした。
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