■城名
本佐倉城
■所在地千葉県印旛郡酒々井町本佐倉町
■称号
続日本100名城、御城印のある城
■別名
将門山城
■築城年
文明年間(1469〜1487)?
■廃城年
元和元年(1615)
■築城者
千葉輔胤
■主な改修者
千葉氏
■主な城主
千葉氏、小笠原氏、土井氏
■天守
なし
■城郭構造
連郭式
■城分類
平山城
■縄張り
千葉県印旛郡酒々井町本佐倉と佐倉市大佐倉にまたがる将門山に築かれた千葉氏後期の本拠地となった日本の城。
■歴史
室町時代後期に千葉宗家を倒して家督を奪った馬加氏(まくわりし)は、将軍足利義政の命により千葉実胤と自胤を支援した東常縁に討たれ滅亡しました。
その後、太田道灌は千葉実胤・自胤を支援し江戸城を築城するなどしました。
しかし、馬加康胤の子(異説あり)・千葉輔胤は、古河公方足利成氏と結んで下総国を平定したことで宗家の地位を確保し、文明年間に従来の亥鼻城よりも内陸のこの地に城を築いて本拠地を移しました。
その後、9代にわたって戦国大名千葉氏宗家の本拠地となりましたが、天正18年(1590年)、千葉氏が小田原征伐後に改易されると、徳川氏に接収されて一旦は破却され、代わりに城下に陣屋が設置されました。
慶長7年(1602年)12月に5万石で松平忠輝が封じられますが、ひと月余後の慶長8年(1603年)2月、信濃国川中島に移封されます。
慶長15年(1610年)、軍事上の必要から同地に封じられた小笠原吉次、土井利勝が再び本佐倉城に入って佐倉藩の藩庁が置かれました。
元和元年(1615年)、藩庁の佐倉城への移転と一国一城制により廃城となりました。
■みどころ
(遺構)曲輪、土塁、横堀(空堀)
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■城巡り記録
2021年11月18日
先日100名城の佐倉城に行ったので、今回はそれより以前に築城されたお城である本佐倉城に行ってきました。
こちらは続100名城に選定されています。
まずは御城印を購入しようと佐倉駅で途中下車して、佐倉市観光協会に行きました。
なんとドラクエウォークと日本100名城がコラボしているようです。
うーん。1年前にドラクエウォーク引退してしまったんですよね・・・。
ポケモンGOもコラボしないかなぁ。
お目当ての御城印をゲットしました。
本佐倉城の御城印は2種類あります。
昔からあるシンプルな御城印と最近千葉のお城で多数発売されている御城印です。
千葉はお城を前面に押し出していますね。
そこから、また電車に乗り、隣の大佐倉駅で下車しました。
降りてみてびっくり。
佐倉駅とは明らかに違います。
さびれている・・・。
トイレもありますけど簡易なものだし、隣の駅なのにこの差は何なんでしょうか。
そして、続100名城のスタンプはその駅に置かれていました。
駅の改札を出てすぐの場所にひっそりと置かれています。
早速スタンプを押して、出発します。
本佐倉城は歩いて10分程度のようです。
線路沿いを少し歩くと、田園風景が広がっていきます。
少し歩くと本佐倉城が見えてきます。
東光寺ビョウから本佐倉城に向かっていきます。
緩やかなカーブを描いた先が本佐倉城です。
近づくにつれすごい土塁が目に付きます。
手前の虎口が見えてくると、あれっ予想以上にすごいお城ではないのかと驚きにかわります。
こちらが東山虎口です。
正面側に行ってみました。
ここに門があったらかなり堅牢な作りでしょう。
上りやすいように階段が設置されています。
この土塁の間をゆっくりと上っていきました。
いやはや、ここを攻めあがっていったとしても、左右の土塁の上から弓で待ち構えられたらひとたまりもありません。
さらにここに門があったようです。
この門を壊す前に左右から狙い撃ちされてしまいます。
この虎口を見れただけで大満足でしたが、さらに進むと開けた場所に出ます。
左手には先ほどの虎口を上から狙うための物見台があります。
この上からの景色が非常に良いとのことですが、最後に見ることにして進みます。
開けた場所には、千葉氏の家紋が書かれた盾が並んでいます。
カッコいいですね。
いやはや、この段々になった曲輪ごとに塀が作られていたらかなり堅牢な作りでしょう。
何もなければ走っていけますが、当時はそんなことはありません。
柵や塀があったのでしょう。
これは攻めがたい城です。
本佐倉城の全容です。
東山馬場の場所に結構新しめの案内所がありました。
そちらでボランティアの方が説明をしてくれます。
また、こちらにもスタンプが設置されていました。
案内所の中には本佐倉城の説明がいろいろあります。
さらにパンフレットをくれるので、そちらを読めば一通りのことが分かるとのことでした。
馬場から上っていきます。
先ほどの曲輪の横を通って進みますが、この傾斜もけっこうすごいですね。
城山と奥の山の手前に門があったようです。
なるほどここに門があるとかなり厳しいですね。
そしてここが大堀切。
この坂とその先には木戸があったようです。
大堀切の方に行かず上っていくと倉跡があります。
かなり開けた場所でした。
さらに上ると奥の山です。
こちらには妙見宮跡があります。
こちらも結構開けた場所でした。
案内板が至る所にあり、分かりやすいです。
続100名城に選定されてかなり整備されたものと思われます。
奥の山をいったん下りて大堀切に戻ります。
大堀切に進むと城山虎口に出ます。
そこを城山の方に進みます。
このうねった登りがまた攻めづらいです。
上ります。
こちらを上ると城山虎口になります。
門跡を過ぎると館跡です。
こちらがこの本佐倉城の本丸に当たるところになります。
上ってみるといろいろな屋敷跡があったようです。
今はただの広場ですが、当時を思い描いてみたいと思います。
館の奥には茶室もあったようです。
この場所に千葉氏がいました。
当時の屋敷はどのようなものだったのでしょうか。
茶室もあったということは、結構しっかりしたやしきだったはずです。
茶室の先からは先ほど行った案内所が見えました。
ここからの景色はかなりよく、遠くまで見えます。
一旦降りて、先ほど上らなかった物見台に上ってみました。
こちらが本佐倉城から一番良い景色のようです。
上ってみると田園が非常に良く見えます。
ここから見れば、敵が攻めてきたとき早めに気づくことが出来そうです。
上杉謙信が攻めてきたときはまだこの本佐倉城は出来ておらず、臼井城に籠城したようですが、本佐倉城ができていればより堅牢な城だったに違いありません。
ここから電車も見れ、鉄道ファンにもたまらないでしょう。
本佐倉城は、100名城に選ばれてもおかしくないほど素晴らしいお城でした。
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