「長峰砦」211城目@日本の城 #山梨県

■城名
長峰砦(ながみねとりで)

■別名
長峰城

■所在地
山梨県上野原市大橋(旧・上野原町大橋)

■見ごたえ
★★★

■築城年
戦国時代

■廃城年
戦国時代末期(武田氏滅亡前後)

■築城者
加藤丹後守(武田氏家臣・上野原城主)

■主な城主
加藤氏

■天守
なし

■城郭構造
連郭式

■城分類
山城

■遺構
郭(平坦地)跡、掘立柱建物跡、土塁、空堀(竪堀・内堀)、古道跡

■指定文化財
上野原市指定史跡

■歴史(GEMINIより)

山梨県上野原市大橋に位置する「長峰砦跡」は、戦国時代に甲斐国(現在の山梨県)の東部防衛を担った中世の山城(砦)跡です。「長峰」という名称は、高ヶ崎から矢坪に至る細長く伸びた尾根筋(長峰)に由来し、その出城として築かれたことからこの名で呼ばれるようになりました。 本砦の築城主は、武田信玄の家臣であった加藤丹後守(上野原城主)と伝えられています。甲斐国と相模国(神奈川県)の国境付近という極めて重要な交通・軍事の要衝に位置しており、東の相模方面から侵入する北条氏などの勢力に対する防衛拠点として機能していました。北側は仲間川に面した断崖絶壁の天然の要害となっており、南側には陣門と呼ばれる木柵を立てて守りを固め、常に将兵が警戒に当たっていたとされています。また、仲間川の対岸に位置する「大倉砦」と連携を取りながら、甲斐の東の虎口を守り抜いていました。 砦の敷地内には、かつて「濁り池」と呼ばれる小池や「殿の井戸」と呼ばれる湧水がありました。濁り池はどんな日照りでも水が枯れることがなかったと伝わり、殿の井戸は美しい清水をたたえて領主が重宝したと記録されています。 現代においては、中央自動車道や国道・地方道路の建設に伴い地形の一部が改変されましたが、平成7年(1995年)に行われた発掘調査によってその実態が明らかになりました。調査では、戦国時代末期の掘立柱建物跡や掘立柱の痕跡、竪堀のほか、青磁片や古銭などの遺物が多数出土し、武士たちが駐屯していた証拠が確認されています。また、江戸時代の甲州道中へとつながる古道の跡も発見され、時代ごとの道の歴史を感じられる貴重な史跡となっています。現在も現地には石碑や案内板が建てられ、武田氏ゆかりの防衛線の面影を今に伝えています

■場所

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■城巡り記録

2026年8月23日

甲州街道ランの旅途中に見かけたお城です。

武田氏の家臣のお城で、北条氏との境にあったもの。

 

交通の要衝として、しっかりとした砦だったようです。

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