
■城名
岩原城(いわはらじょう)
■所在地
神奈川県南足柄市岩原1039
■見ごたえ
★★
■築城年
室町時代
■築城者
大森頼春
■主な城主
大森氏
■城分類
丘城
■遺構
曲輪、土塁、横堀(空堀)
■指定文化財
市史跡(岩原城跡)
■歴史(ChatGPTより)
神奈川県南足柄市岩原に所在する岩原城は、相模国西部に勢力を築いた大森氏の重要拠点の一つであり、中世から戦国初期にかけての関東情勢を知るうえで欠かせない城郭である。現在は明確な建造物は残っていないものの、地形や遺構から当時の姿をうかがうことができる。
岩原城の築城時期ははっきりしないが、15世紀前半、上杉禅秀の乱の後に西相模へ進出した大森氏によって築かれた可能性が高い。とくに、鎌倉公方足利持氏を支援して功績を挙げた大森頼春が足柄郡を与えられたことが契機となり、この地域に本格的な支配拠点が必要とされたと考えられる。岩原城はその中核として機能したとみられる。
その後、大森氏は西相模の有力国人として勢力を拡大し、本拠を小田原城に置くようになるが、岩原城もまた重要な支城として位置づけられた。とくに、憲頼の弟である大森氏頼は晩年に隠居して岩原城に入り、ここを拠点として影響力を保った。氏頼は扇谷上杉家に属しながらも、主家の内紛を憂いて「大森教訓状」を著すなど、政治的にも大きな存在であった。
岩原城の構造は、典型的な中世山城の形態を示す。丘陵地形を利用し、曲輪や土塁、堀切などを配した防御的構造を持ちながらも、規模は比較的コンパクトであり、領主の居館的性格も併せ持っていたと考えられる。現在でも土塁や削平地の痕跡が確認され、往時の姿を想像することができる。
戦国時代初頭、関東では上杉両家の対立が続き、さらに伊豆から新興勢力が進出してくる。その代表が北条早雲である。明応4年(1495)、早雲は巧妙な策略によって小田原城を奪取し、大森氏の本拠を失わせた。当時の城主であった藤頼は岩原城へ退却するが、早雲の追撃は激しく、岩原城もまもなく落城した。藤頼はさらに逃れるも最終的に自害し、ここに西相模を支配した大森氏は滅亡する。
この岩原城の落城は、単なる一地方勢力の終焉にとどまらず、関東における権力構造の転換点を示している。すなわち、鎌倉府体制下で成長した在地国人層が衰退し、代わって後北条氏のような戦国大名が台頭する時代への移行である。その意味で岩原城は、旧来の勢力から新興勢力への交替を象徴する歴史的舞台といえる。
現在の岩原城跡は整備された観光地ではないが、静かな丘陵の中に中世の記憶をとどめており、歴史に関心を持つ人々にとっては貴重な探訪地である。派手な遺構こそ少ないものの、地形とわずかな遺構が語る歴史の重みは大きく、中世関東の動乱と武士の興亡を体感できる場所となっている。
■場所
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■城巡り記録
2026年4月20日

まさか民家の間の細い道が入り口だとは思わなかったです。


見晴らしは良いですね。
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