「大庭城(おおばじょう)」148城目@日本の城 #神奈川県

■城名
大庭城(おおばじょう)

■所在地
神奈川県藤沢市大庭

■見ごたえ
★★★

■築城年
平安時代後期

■廃城年
永正9年(1512)

■築城者
大庭氏

■主な改修者
太田道灌

■城分類
平山城

■遺構
曲輪、土塁、横堀(空堀)

■歴史(ChatGPTより)

大庭城(おおばじょう)は、神奈川県藤沢市大庭に所在した中世城郭で、現在も空堀や土塁など多くの遺構が良好に残り、大庭城址公園として整備されている。2021年(令和3年)には「大庭城跡」として藤沢市指定史跡に指定され、湘南地域を代表する城跡の一つとなっている。

この地は平安時代末期、伊勢神宮の荘園である「大庭御厨」として知られ、桓武平氏の流れをくむ鎌倉景正(権五郎景政)によって開拓・寄進された。のちに子孫が大庭氏を名乗り、代々この地を支配した。大庭城は、源頼朝挙兵期に活躍した大庭景親の父・大庭景宗によって築かれたとされ、「大庭の舘」とも呼ばれ、一族の軍事拠点であったと考えられている。

石橋山の戦いで大庭景親は源頼朝を破ったものの、最終的には敗北し、景親は捕らえられて処刑された。一族の多くは筑前・筑後方面へ落ち延びたとされ、相模での大庭氏は和田合戦を経て滅亡したと伝えられてきた。しかし近年では、大庭氏の一族や子孫が西国で存続したとする説が有力であり、建保元年(1213年)には大庭三郎景連が備後国で地頭となり築城した記録も残る。

戦国時代になると、大庭城は扇谷上杉氏の支配下に入り、家臣で築城の名手とされる太田道灌が、鎌倉と糟屋館を結ぶ要地として最新の築城技術を用いて改修したと伝えられている。しかし、相模へ侵攻した北条早雲によって大庭城は落城し、この戦いにまつわる「舟地蔵伝説」が現在まで語り継がれている。

その後、後北条氏は大庭城を大改修したものの、玉縄城の築城により戦略的価値が低下し、後北条氏滅亡とともに廃城となった。現在も大規模な空堀や土塁が良好に残り、周辺には二番構や駒寄など城に由来する地名が残るなど、大庭城は中世相模の歴史を今に伝える貴重な城跡である。

■場所

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■城巡り記録

2026年1月16日

あまり期待せずに行ったのですが、しっかりとした城址公園でした。

管理事務所にはパンフレットや歴史の説明などもあります。

石垣が立派ですが、土のお城なので石垣は無かったです。

なんとなく勘違いしてしまいそうですね。

 

からぼりが残っていました。

それ以外はしっかりと整備された公園といった感じでした。

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