■城名
蒔田城(まいたじょう)
■別名
蒔田御所
■所在地
神奈川県横浜市南区蒔田町
■見ごたえ
★
■築城年
15世紀後半~16世紀?
■築城者
吉良氏
■主な城主
吉良頼康
■城分類
山城
■歴史(ChatGPTより)
蒔田城は、神奈川県横浜市南区蒔田町に所在したとされる中世城郭で、武蔵国世田谷(現在の東京都世田谷区)と蒔田を領有した吉良氏の居城と考えられている。吉良氏は足利将軍家の分家にあたり、「足利が絶えれば吉良、吉良が絶えれば今川」と称されるほど高い家格を有した名門である。
城は大岡川右岸に位置する標高約35メートルの台地上に築かれ、現在の学校法人横浜英和学院の敷地一帯が本曲輪に比定されている。大正期にはすでに学院施設が建設されていたため、主要な城郭遺構は削平された可能性が高いが、周辺には空堀や腰曲輪とみられる地形が一部残存するとされる。
吉良氏は本拠を世田谷城に置きながらも蒔田を重要な所領とし、15世紀末頃の吉良成高あるいは吉良頼康の代には「蒔田御所」と称される拠点が存在したという。戦国時代には後北条氏の勢力下に入ったものの、『小田原衆所領役帳』に吉良氏の名が見えないことや、独自に判物を発給していた点から、単なる被官ではなく、一定の自立性を保った特異な立場にあったと考えられている。
城跡の東南麓に位置する龍祥山勝國寺は吉良氏の菩提寺とされ、境内には「吉良家供養塔」と伝わる4基の五輪塔が残り、横浜市の地域史跡に登録されている。
また、英和学院が「成美学園」と称していた時代の1984年、校庭整備に伴う発掘調査で縄文・弥生・古墳時代の遺構が確認されたが、城郭関連遺構は検出されなかった。ただし、中世の遺物として火鉢片が1点出土しており、蒔田城の存在を完全に否定するものではない。
蒔田城は遺構の乏しさゆえ実像が掴みにくいものの、吉良氏の権威と中世横浜南部の政治史を考える上で重要な城跡といえる。
■場所
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■城巡り記録
2026年1月16日

城郭部分はすでに学校が建っていて立ち入り禁止。

学校の周りをバイクで1周
確かにお城があったような雰囲気は感じられました。

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