
■城名
浦賀城(うらがじょう)
■所在地
神奈川県横須賀市東浦賀2
■見ごたえ
★★☆
■築城年
16世紀後期
■築城者
北条氏康
■主な城主
後北条氏
■城分類
山城
■遺構
横堀(空堀)
■歴史(ChatGPTより)
浦賀城(うらがじょう)は、戦国時代末期に築かれた海防の要衝であり、現在の神奈川県横須賀市東浦賀、浦賀港入口の明神山に位置していた山城である。城跡は 東叶神社 の境内にあたり、浦賀水道を挟んで房総半島を一望できる、極めて戦略的な立地にある。
この城は、後北条氏の当主である 北条氏康 によって築かれたとされ、三浦半島南端の拠点である三崎城の支城として機能した。特に、房総半島を本拠とする里見氏の動向を警戒するための海上防衛拠点としての役割が大きく、浦賀水道を通過する船舶や敵勢力の動きを監視する重要な役割を担っていた。
当時の関東では、相模の北条氏と安房の里見氏が対立関係にあり、その最前線の一つがこの浦賀周辺であった。里見方の当主 里見義弘 との間で「房相一和」と呼ばれる和睦が成立すると、緊張関係は一時的に緩和され、浦賀城の軍事的必要性も低下したと考えられている。
その後の廃城時期については諸説あり、
房相一和の成立後に役割を終えて廃城となったとする説
1590年の 小田原征伐 によって北条氏が滅亡した際、三崎城とともに廃城となったとする説
が知られている。
現在、浦賀城の遺構は明確には残っていないが、明神山の地形そのものが天然の要害であり、当時の城の防御性をよく伝えている。特に浦賀水道を見下ろす眺望は圧巻で、ここが海上交通の監視拠点として極めて重要であったことを実感できる。
このように浦賀城は、後北条氏の海防戦略を象徴する拠点の一つであり、三浦半島南部における軍事・交通の要地を押さえる役割を果たしていた。現在は静かな神社の境内となっているが、その背後には戦国期の緊張と海をめぐる攻防の歴史が刻まれているのである。
■場所
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■城巡り記録
2026年3月20日

