「住吉城(すみよしじょう)」161城目@日本の城 #神奈川県

■城名
住吉城(すみよしじょう)

■所在地
神奈川県逗子市小坪5

■見ごたえ
★★

■築城年
鎌倉時代?

■築城者
不明

■主な改修者
北条早雲

■主な城主
北条早雲、三浦氏

■城分類
平山城

■歴史(ChatGPTより)

住吉城は、現在の神奈川県逗子市小坪、逗子マリーナ背後の飯島崎に位置していたとされる山城であり、相模湾を望む要害の地に築かれた防衛拠点である。その立地は、鎌倉と三浦半島を結ぶ交通路を押さえる戦略的に重要な場所であり、古くから軍事的拠点として利用されてきた可能性が高い。

戦国時代初期、この城は大きな歴史の転換点に関わることとなる。伊豆・小田原を本拠として勢力を拡大していた 北条早雲 は、相模国支配を目指して三浦氏を攻撃した。これに対し、三浦氏の当主であった 三浦義同 は抗戦するが、永正9年(1512年)、本拠地である岡崎城を失う。義同はその後、小坪にある住吉城へと退いたが、この城も長く持ちこたえることはできず、早雲の勢力の前に短期間で陥落した。

住吉城を失った義同は、さらに南の 新井城(三崎城とも)へと逃れ、ここで約三年にわたる籠城戦を展開する。しかし最終的にはこれも敗れ、三浦氏は滅亡に至る。住吉城の落城は、この三浦氏滅亡へと続く過程の一局面であり、戦国期における勢力交代の象徴的な出来事のひとつといえる。

一方で、住吉城の歴史は戦国時代にとどまらない。この地はそれ以前から防衛拠点として利用されていたと考えられており、鎌倉幕府の時代には、鎌倉と三浦半島の間を守る重要な拠点として機能していた可能性が指摘されている。また、治承年間に行われたとされる小坪合戦の際には、三浦勢がこの周辺に陣を敷いたとも伝えられ、少なくとも鎌倉時代以前には、すでに砦の原型となる施設が存在していたと推測される。

現在、住吉城の跡地は住吉神社となっており、城郭としての明確な遺構はほとんど残っていない。しかし、山上という地形そのものが往時の防御性を今に伝えており、周囲の地形を見渡すことで、ここがいかに戦略的価値の高い場所であったかを実感することができる。

このように住吉城は、古代から中世にかけて継続的に利用された可能性を持つ要害であり、特に戦国時代においては三浦氏滅亡の過程を物語る重要な舞台となった。現在は静かな神社の境内となっているが、その背後には相模の覇権をめぐる激しい争いの歴史が刻まれているのである。

■場所

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■城巡り記録

2026年3月20日

本郭には芸能人の豪邸が建っていて立ち入り禁止。

お寺のほうは行けるのでそちらに行くとよいらしい。

バイクで行ける坂道を登っていったら何やら面白そうなトンネルが。

こちらは徒歩専用。

特に何かあったわけではないが、この辺もお城の一部でしょう。

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