
■城名
二本松城(にほんまつじょう)
■別名
霞ヶ城、白旗城
■所在地
福島県二本松市郭内3
■見ごたえ
★★★★★
■称号
日本100名城
■築城年
応永21年(1414)
■廃城年
明治5年(1872)
■築城者
畠山満泰
■主な改修者
丹羽光重
■主な城主
畠山氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、丹羽氏
■天守
不明
■城郭構造
梯郭式
■城分類
平山城
■遺構
曲輪、天守台、石垣、横堀(空堀)
■再建造物
箕輪門、附櫓
■指定文化財
国史跡(二本松城跡)
■歴史(ChatGPTより)
二本松城は、福島県二本松市街地の北に位置する梯郭式の平山城で、麓の居館と標高345メートルの白旗が峰に築かれた山上の城郭から成る。室町時代中期、奥州管領を務めた畠山氏の一族・二本松満泰によって築かれたのが始まりとされ、以後、二本松氏の本拠として発展した。戦国時代には伊達氏の勢力拡大に直面し、天正13年(1585年)、当主二本松義継が伊達輝宗を拉致しようとして失敗、政宗により輝宗もろとも討たれるという「粟之巣の変事」が起こる。翌年、再度の攻撃で開城し、二本松氏は滅亡した。
その後は伊達氏の支配を経て、豊臣政権下では蒲生氏郷、上杉景勝らの支城となり、関ヶ原合戦後は再び蒲生氏の所領となった。寛永20年(1643年)、丹羽長秀の孫・光重が入封し、以後明治維新まで丹羽氏が二本松藩主として城を治めた。光重は城の大改修を行い、本丸に高石垣を築き三重の天守を構えるなど、近世城郭としての体裁を整えた。また城下町の整備も進め、奥州街道を付け替えて城域を拡張し、防御性を高めた縄張りを完成させた。
慶応4年(1868年)の戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に加わり新政府軍と戦うが、7月29日に落城。この戦いでは少年兵から成る「二本松少年隊」も出陣し、城下とともに多くの建物が焼失した。明治5年(1872年)の廃城令で残存建物も破却されたが、昭和57年(1982年)に箕輪門と附櫓が木造復元され、平成期には本丸石垣や天守台も整備された。現在は霞ヶ城公園として公開され、市民や観光客の憩いの場となっている。
城の構造は、山頂の本丸を中心に尾根伝いに曲輪を配し、唯一外部と接続する北西尾根を堀切で断つなど、中世山城の特徴を色濃く残す。一方、山麓には近世的な高石垣や水堀が築かれ、時代ごとの改修の積み重ねが見て取れる。城域は観音丘陵を取り込んだ馬蹄形をなし、切通しや寺社配置によって防御線を形成する巧妙な縄張りを持つ。城内には藩政改革の指針を刻んだ戒石銘碑や、移築された茶亭「洗心亭」も現存し、歴史的景観を今に伝えている。中世から近代までの変遷を体現する二本松城は、地域の歴史と文化を象徴する貴重な城郭遺構である。
■ご城印


■場所
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■城巡り記録
2026年2月16日

二本松駅から結構離れた場所にありますが、歩いていきます。

少し進んだら、100名城スタンプが置いてある二本松城報館が月曜日が休館。
本日は月曜日・・・。
急いで他に押せるところを探しました。
すると駅の観光案内所においてあるとのことで、また戻るのでその時でもよいのですが、押し忘れると嫌なので戻ってスタンプを押します。

無事スタンプを押せました。
さらに御城印も2種類ここに売られていたので購入します。

二本松城へは結構な坂道。

かなり斜度があります。

何とか上って、少し下ったところにセブンイレブン。
その向こうが本来100名城スタンプが置いてある城報館です。


ぐんぐん進むときれいな石垣があります。

そして箕輪門。

手前に少年兵の銅像がありました。

かなり重厚な櫓門ですね。

ここは攻めたくないです。

少年兵が自刃した場所です。

本丸からの景色は非常に良いですね。

かなり立派な山城でした。

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