
■城名
小沢古城(こさわこじょう)
■別名
小沢城(こさわじょう)
■所在地
神奈川県愛甲郡角田
■見ごたえ
★★
■築城年
鎌倉時代前期頃(12世紀末〜13世紀初頭と推定)
■廃城年
鎌倉時代中期以降に衰退(明確な廃城年は不詳)
■築城者
横山党の一族・小沢氏(在地武士団)
■主な城主
小沢氏(横山党系武士。建保元年〈1213〉の和田合戦で敗れたと伝承)
■城郭構造
連郭式
■城分類
山城
■遺構
堀切跡、郭跡、土塁の痕跡、自然断崖地形
■歴史(ChatGPTより)
小沢古城(こざわこじょう)は、神奈川県愛甲郡愛川町角田にあった古い城館跡で、鎌倉時代から中世にかけて地元豪族の屋敷・砦として機能した城址です。歴史資料や遺跡調査では、武士団「横山党」の一族である小沢氏の居館跡とされ、その地勢や遺構から「古城」として区別されます。
築城年代は正確には不明ですが、平安末期〜鎌倉時代にかけて横山党の一族がここに館を置いたと伝えられています。横山党は武蔵国(現在の東京都〜埼玉・神奈川北部)に勢力を持った武士集団で、小沢氏はその支族として相模川沿いの交通・集落を支配していたと考えられています。館は相模川に面した断崖や渓流を自然の防御とする要害の地に設けられ、丘陵の尾根を利用した縄張りが特徴でした。
城は東方が断崖、西方が渓流、北方が山地、南方が開けた地形という自然条件を活かした配置で、館への入口は西の沢に橋を架けて登坂する構造だったとされます。当時は門址や橋跡、壕跡などが存在したと伝わっていますが、現在は山砂利採取・開発の影響で大部分の遺構が損失し、本来の構造を確認することは困難です。残る遺構は細尾根上の堀切や郭といった一部に限られており、現地には案内板や諏訪神社裏の鞍部などに痕跡が見られる程度です。
「小沢古城」という名称は、後世の呼び名であって、当時は単に小沢氏の館・砦であったと考えられています。鎌倉時代中期の建保元年(1213年)の和田義盛の乱では、横山氏と縁の深い小沢氏も和田方に属したため幕府軍に敗れ、この古城も落城したという伝承が残ります。
歴史的な出来事としては、やや後世の中世期に別の隣接する山城(一般に「小沢城」と呼ばれる戦国期の城)と混同されることもあります。文明9年(1477年)の長尾景春の乱では、扇谷上杉方の太田道灌に攻められた城として記録がありますが、どちらの城が攻防戦の舞台だったかは明確ではありません。古城は断崖を有し、要害性が高かったため、攻撃の中心となった可能性も指摘されています。
現在の小沢古城跡は大規模な遺構が残っていないものの、相模川を見下ろす断崖や尾根上の地形から、中世の城館の配置を偲ぶことができます。諏訪神社周辺の急斜面や尾根道を辿れば、往時の跡を感じられる場所もあり、地域の歴史を学ぶフィールドとして興味深い存在です。また、古城と小沢城(室町〜戦国期の山城)の関連も研究テーマとして扱われており、歴史好きには散策・考察両面で価値のある史跡といえます。
■場所
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■城巡り記録
2026年2月15日
諏訪神社の場所が小沢氏の館があった場所と伝わっているそうです。

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