「護国山台場(ごごくやまだいば)」146城目@日本の城 #神奈川県

■城名
護国山台場(ごごくやまだいば)

■所在地
神奈川県横浜市中区本牧十二天

■見ごたえ

■築城年
安政4年(1857)

■築城者
池田氏(鳥取藩)

■主な城主
池田(松江藩)、松平家(福井藩)

■城分類
台場

■歴史(ChatGPTより)

護国山台場(ごこくさんだいば)は、幕末に鳥取藩が幕府の命を受け、東京湾の海防を目的として築いた台場である。1853年のペリー来航以降、幕府は沿岸防備の強化を急ぎ、諸藩に湾岸各地の防衛を分担させた。横浜・本牧周辺の防備を担当したのが鳥取藩であり、その任務の中で築造されたのが護国山台場であった。

この台場は、当時の海岸線に近い高台に設けられ、外国艦船の来航に備えて砲を据え、江戸湾への侵入を防ぐ役割を担っていた。西洋船の測量記録や航海図には、この一帯が**「マンダリンブラフ(Mandarin Bluff)」**と記されており、外国人の視点からも目立つ地形であったことが分かる。「ブラフ(Bluff)」とは海に面した断崖や高台を意味し、護国山台場周辺の地形的特徴をよく表している。

しかし現在、台場が築かれていた一帯は大規模な埋め立てによって地形が一変しており、当時の海岸線は失われている。そのため、土塁や砲座といった明確な遺構は残っていない。護国山台場の存在は、文献資料や古地図、そして「マンダリンブラフ」という外国資料上の地名表記によって確認されるのみである。

護国山台場は、横浜開港を目前に控えた幕末日本が、列強の脅威に直面しながら必死に防衛体制を整えたことを示す象徴的な史跡である。遺構こそ失われたが、「マンダリンブラフ」という名称とともに、国際都市・横浜成立以前の緊張した時代背景を今に伝えている。

■場所

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■城巡り記録

2026年1月16日

オレンジ色をした崖をみたペリーはマンダリンブラフと名付けたそうです。

蜜柑色の崖。

色がもっとオレンジだったんでしょう。

ペリーが来たのが1853年。そのあと1587年にその場所に台場を設置したそうです。

  

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