「扇谷上杉家糟屋館」127城目@日本の城 #神奈川県

■城名
扇谷上杉家糟屋館

■別名
上杉館

■所在地
神奈川県伊勢原市上粕屋

■見ごたえ
★★

■築城年
永享10年(1438年)頃?

■築城者
上杉持朝?

■主な城主
上杉定正

■城分類
平山城

■指定文化財
市指定史跡

■歴史(ChatGPTより)

扇谷上杉家糟屋館(おうぎがやつうえすぎけ かすややかた)は、神奈川県伊勢原市に所在したと伝わる中世の館跡であり、室町時代から戦国時代初期にかけて相模国を支配した扇谷上杉家の本拠の一つとされる。上杉氏は関東管領職を務めた名門であり、その一族である扇谷上杉家は山内上杉家と並び関東支配をめぐる抗争の中心にあった。糟屋館はその政治的・軍事的拠点として築かれた平地の館で、相模平野を一望できる台地上に位置していた。

館は堀と土塁によって区画された平城形式で、政務と居住の双方を兼ね備えた中世武家館の典型と考えられている。周辺には湧水を利用した防御施設や、物資の集積・兵站拠点となる施設群があったと推定される。立地は中原街道に近く、伊勢原から相模・武蔵を結ぶ交通の要衝にあたり、扇谷上杉家が関東支配を進める上で極めて重要な位置を占めていた。

この館の主として知られるのが上杉定正である。定正は文明年間(1469〜1487)に扇谷上杉家の当主として勢力を拡大し、家臣の太田道灌を用いて江戸城・川越城などを築かせた。しかし、のちに主従関係が悪化し、文明十八年(1486)に道灌を謀殺したと伝えられている。糟屋館はまさにその政治の中心であり、太田道灌も幾度となく出入りして上杉家の政務を補佐したと考えられる。定正の死後、扇谷上杉家は急速に衰退し、後の北条氏の進出により勢力を失っていった。

現在、糟屋館跡は宅地化や農地開発により往時の姿を留める部分は少ないが、地元では「上杉館跡」や「糟屋館跡」と呼ばれ、周辺には堀跡や土塁の痕跡が微かに残る。発掘調査では十五世紀後半から十六世紀初頭の陶磁器片や鉄製品が出土し、当時の上杉氏の居館であったことを裏付けている。伊勢原市教育委員会により歴史的遺跡として位置づけられ、地域史研究の貴重な資料となっている。

糟屋館は、太田道灌と扇谷上杉家の関係を象徴する場所であり、関東戦国史を理解する上で欠かせない存在である。関東における中世武士の館の姿を伝えるとともに、戦国初期の政治抗争と武家文化の一端を今に伝える史跡として、その名を残している。

■場所

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■城巡り記録

2025年10月19日

産業大学のある場所が当時の扇谷上杉家糟屋館の場所らしいです。

有名な太田道灌が上杉定正に誅殺された場所とのこと。

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