「殿ノ城(とののじょう)」122城目@日本の城 #東京都

■城名
殿ノ城(とののじょう)

■別名
井出沢城跡

■所在地
東京都町田市本町田

■見ごたえ
★★

■築城年
不明

■廃城年
不明

■築城者
不明

■城分類
平山城

■歴史(ChatGPTより)

町田市に伝わる殿ノ城跡(とののじょうあと)は、成瀬城や小山田城などと同様に、戦国時代の北条氏支配下にあった中世の小規模な城館跡(館跡)と考えられています。所在地は町田市南部の丘陵地、現在の南成瀬・高ヶ坂地区一帯とされ、地元では古くから「殿様の城」や「殿の館跡」として伝承が残っています。規模は大きくありませんが、戦国期にこの地域を支配した土豪(地侍)の居館であった可能性が高いとみられています。

殿ノ城跡の正確な築城年代は不明ですが、周辺には同時期の城館跡が点在しており、14世紀後半から16世紀ごろにかけて築かれたと推定されています。この地域は、鎌倉から八王子方面へ抜ける交通の要衝であり、恩田川流域の丘陵を利用した天然の防御線をもつ地形が広がっていました。殿ノ城も、こうした丘陵の一角に築かれた**平山城(または居館型城館)**で、主郭を中心に小規模な曲輪や空堀を配し、周囲を自然の谷地形で囲んだ構造であったと考えられています。

地元の古老の間では、「このあたりに殿様の屋敷があり、堀の跡があった」「夜になると城跡の方から太鼓の音が聞こえた」といった伝承が語られており、往時の館跡が人々の記憶に残されてきました。また、「殿ノ台」「殿下(とのした)」といった地名が周辺に残ることからも、この地域が中世の有力者の居館地であったことがうかがえます。

中世後期、この一帯は後北条氏の支配下に入り、町田市域には北条氏の家臣や被官層が配置され、要地を守るための小城・館がいくつも築かれました。殿ノ城跡もその一つで、近隣の成瀬城、能ヶ谷城、小山田城などとの連携のもとに地域の治安維持と防衛を担っていたと考えられます。特に町田から相模国(現・神奈川県)へ抜ける交通路に近く、恩田川沿いの見張り・連絡拠点としても重要な位置を占めていたとみられます。

ただし、天正18年(1590)の小田原征伐で北条氏が滅亡すると、殿ノ城も役割を失い、他の支城と同じく廃城となりました。その後、江戸時代には周辺が農地として開発され、館跡の遺構は次第に失われていきました。現在では地表に明確な遺構はほとんど残っていませんが、地形上の小高い丘やわずかな窪地が往時の名残を留めており、地元の郷土資料では中世城館跡として位置づけられています。

町田市は多摩丘陵の複雑な地形に恵まれており、こうした小規模な土豪の館跡が点在しています。殿ノ城跡もその一つとして、町田の中世史を理解するうえで重要な位置を占めます。近隣の発掘調査では、中世の土器片や瓦片などが出土しており、この地域に武士的な居住があったことを示しています。現在、殿ノ城跡は住宅地の中に埋もれていますが、その地名や伝承は、戦国期の町田に生きた土豪たちの歴史を今に伝える貴重な痕跡といえるでしょう。

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■城巡り記録

2025年10月13日

現在菅原神社という立派な神社があった場所は昔はお城だったようです。

鎌倉街道沿いにあり、石碑には井出の沢古戦場と記載されているので、戦場にもなっていたようで、足利氏など室町幕府前後の時代のようでした。

たしかにこの場所一体が高台になっていて、縄張りとしては良さげな場所でした。

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