■城名
萩城(はぎじょう)
■別名
指月城
■所在地
山口県萩市堀内
■見ごたえ
★★★★★
■築城年
慶長9年(1604)
■廃城年
明治7年(1874)
■築城者
毛利輝元
■主な城主
毛利氏
■天守
非現存
■天守構造
複合式望楼型[5層5階/1608年築/破却(廃城令)]
■城郭構造
梯郭式
■城分類
平城、山城(指月山)
■遺構
曲輪、石垣、横堀、長屋、井戸
■再建造物
北の総門、土塀、土橋
■指定文化財
国史跡
■歴史
萩城(はぎじょう)は、山口県萩市に築かれた毛利氏の本拠であり、関ヶ原の戦い以降における長州藩の政治・文化の中心地となった城です。指月山の山麓に築かれたことから「指月城」とも呼ばれ、日本の近世城郭史において重要な位置を占めています。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで西軍の総大将であった毛利輝元は、戦いに敗れた責任を問われ、領地を大幅に削減されました。それまでの本拠であった安芸広島城を没収され、周防・長門二国のみ約36万石に減封されることとなります。新たな本拠地をどこに定めるかが大きな課題となり、検討の末、輝元は長門国の日本海側に位置する萩を選びました。瀬戸内海に面する防府や山口も候補地であったと伝えられますが、幕府の監視を避け、政治と軍事を兼ね備えた拠点とするには、山に囲まれ海にも近い萩の地が適していたのです。
萩城の築城は慶長9年(1604年)から始まり、同13年(1608年)に完成しました。城は標高143メートルの指月山を背に、その山麓から日本海に突き出すように設けられた平山城で、外郭は阿武川の河口と海を利用して守りを固めています。天守は五重で、城郭の規模も大きく、初代藩主毛利輝元の威信を示すものでした。山麓部分には本丸・二の丸・三の丸が整然と配置され、城下町も同時に整備されました。城下は碁盤の目のように区画され、武家屋敷や町人地が配置され、近世城下町としての萩の基盤がこのときに築かれました。
以後、萩城は長州藩主毛利家の居城として、藩政の中心となります。しかし、時代が進むにつれて幕府の規制が強まり、また藩内の財政難も加わり、城郭自体が大きな改修を受けることはありませんでした。江戸時代を通じて、城は軍事拠点であると同時に政治の象徴であり続けましたが、実際には城下町や山口などが行政・経済の中心として発展しました。
幕末に入ると、萩城と長州藩は日本史の表舞台に大きく登場します。黒船来航以降、長州藩は尊王攘夷の先鋒となり、高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)、久坂玄瑞ら多くの志士たちを輩出しました。彼らは萩の城下で学び、やがて倒幕運動を主導していきます。特に萩藩校「明倫館」や、吉田松陰が主宰した「松下村塾」などは、維新の人材育成の場として大きな役割を果たしました。萩城そのものが戦場となることはなかったものの、その存在は幕末維新期の政治的・精神的な拠点となったのです。
明治維新が成ると、萩城は急速にその役割を失います。版籍奉還・廃藩置県によって藩制が廃止され、明治7年(1874年)、萩城の天守や櫓など主要な建物は解体されました。石垣や堀はそのまま残されたものの、現在では往時を偲ぶ遺構が中心です。指月山の麓には城跡が公園として整備され、天守台、堀、石垣などが保存され、桜の名所としても知られています。また、指月山の山頂には詰丸が築かれており、ここからは日本海や萩の城下を一望することができます。
萩城跡は昭和32年(1957年)に国の史跡に指定されました。また、城下町の町並みや武家屋敷群が良好に保存されており、平成27年(2015年)には「明治日本の産業革命遺産」の一部として世界文化遺産に登録されました。これは、幕末から明治期にかけて長州藩が果たした近代化の役割を評価したものであり、萩城跡とその周辺が世界的にも貴重な文化的景観であることを示しています。
現在の萩城は建物こそ失われていますが、石垣や堀、そして指月山の自然と一体となった姿が、往時の姿を偲ばせています。城下町には江戸時代そのままの町割りが残り、白壁の武家屋敷や土塀の続く街並みは、訪れる人々に城下町文化の香りを伝えています。萩城は単なる藩主の居城というだけでなく、日本の歴史が大きく転換する舞台となった城であり、今日でもその価値は失われていません。
■ご城印
■場所
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■城巡り記録
2025年8月7日
萩城に行ってきました。
関ヶ原の戦い後、毛利家が追いやられた萩ですが、その結果明治維新に繋がったことを思うと本当に重要な場所です。
萩城は詰めの城である指月山も含めて一つのお城です。
平城としての萩城は石垣が見事で、水堀も十分な幅があります。
本丸門の場所から入園料が必要になります。
大人220円。
リーズナブルです。
こちらに100名城スタンプも置かれています。
さらにご城印の購入もできました。
萩城ほどの場所ですので、歴史資料館があっても良いと思いますが仕方ない。
中に入ると石垣がすごいです。
階段状になった雁木石垣がどーんとあります。
登ってみるとお堀がすぐそこ。
武者走りを歩いて眺めてみます。
突き当りの場所が天守台。
一度降りてから天守台の階段を上ります。
天守台には礎石が多数置かれています。
しっかりとした礎石が残っていて、天守の写真も残っています。
これは再建が可能ですね。
明示の廃城令によってなくなった天守ですが、木造再建してほしいなぁと思いました。
その後は裏の指月山へ。
萩城自体も人は我が家しかおらず、指月山も誰もいなそう。
夏休みに萩城行こうってなる人少ないのかな。
ちょっとした裏山気分で登りだしましたが、結構な山。
まぁ最近山城ばかり楽しんでいるので、これくらいは難なく登れるのですが、子供たちがブーブーです。
蚊が結構いて刺されまくりなのが残念。
虫よけと長袖必須でした。
何とか上ると石垣と塀。
詰めの城なのにしっかりしています。
さすが江戸時代に建ったお城ということでしょうか。
これほど大量の石垣はどこからと思ったら、しっかり本丸に巨石があり、石を切り出した跡がありました。
これはすごいですね。
これほどの巨石がごろごろとあるとは驚きです。
ここからの景色も良いですし、後ろは海。
この山城が戦国時代にあったら攻めづらかったことでしょう。
下山してから神社へお参り。
毛利家の家紋が掲げられていると思ったら、この神社で祀られているのは毛利家の藩主らしいです。
御祭神は初代藩主の毛利輝元だそうです。
神社の神様は本当にたくさんいらっしゃいますね。
萩城は素晴らしいお城でした。
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