■城名
伊奈城(いなじょう)
■別名
伊那城
■所在地
東京都あきる野市伊奈
■見ごたえ
★
■築城年
南北朝時代から室町時代
■築城者
西党流三田氏の一族、または地元の有力国人
■歴史
東京都西部のあきる野市伊奈に位置していた中世の城館跡で、秋川左岸の段丘上に築かれた平山城と考えられています。比高は30〜40メートルとされ、地形的には要害性のある場所に位置し、秋川渓谷と盆地を望む要所でした。
この地は、古くから武蔵国の西端にあたり、関東山地への入口として交通・軍事の面でも重要な場所でした。伊奈城を築いたのは、中世の武蔵国に勢力を持った西党(さいとう)系の武士団、または三田氏と推定されており、南北朝時代から室町時代にかけて築かれたと考えられています。
◆ 三田氏と伊奈城
伊奈城は、武蔵国多摩郡を拠点とした三田氏の支城だったとされます。三田氏は鎌倉幕府の有力御家人・西党の流れをくむ一族で、武蔵国に多くの所領を有していました。本拠は現在の八王子市堀之内周辺にあった三田城(堀之内城)とされます。
三田氏は室町時代には扇谷上杉氏に仕えましたが、戦国時代には後北条氏の勢力に押され、次第に衰退していきました。その過程で伊奈城も戦乱に巻き込まれ、城としての機能は徐々に失われていったとみられます。
◆ 後北条氏と伊奈城の終焉
戦国時代中期、関東に覇を唱えた後北条氏がこの地域にも勢力を拡大し、多摩西部は北条氏照が支配する八王子城の支配下に入りました。これに伴い、伊奈城は重要拠点としての機能を終え、廃城となったと考えられます。天正18年(1590年)の小田原征伐で北条氏が滅亡すると、この地域も豊臣政権の直轄地となり、後に江戸幕府の支配下に組み込まれました。
◆ 遺構と現在の状況
現在、伊奈城跡には明確な郭や土塁などの遺構は確認しにくく、宅地化や農地開発により城の痕跡はかなり薄れています。しかし、地形の高低差や周囲の地名にその名残が残されており、「城山」「殿入」などの字名が往時を伝えています。
また、地元では「伊奈の殿様」などの口承伝説も残っており、中世のこの地に武士の城館があったという記憶は、地域の歴史や文化に静かに息づいています。
■場所
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■城巡り記録
2025年7月27日
現在は北郷神社になっています。
当時の面影はあるのかな。
分かりません。
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