「寺尾城」95城目@日本の城 #神奈川県川崎市

■城名
寺尾城(てらおじょう)

■別名
菅寺尾城

■所在地
神奈川県川崎市多摩区

■見ごたえ
★★

■築城年
室町時代?

■築城者
寺尾若狭守

■主な城主
寺尾若狭守

■城分類
丘城

■歴史
●城主と伝承
菅馬場谷城の城主は、寺尾若狭守と伝えられています。寺尾氏は後北条氏に仕えたのち、諏訪氏を名乗ったとされますが、史料が少なく詳細は不明です。
寺尾若狭守については、後北条氏の勢力下で活動していた武士であり、地域防衛や伝令活動に従事していた可能性が示唆されています。

●遺構
菅馬場谷城の遺構として、現在も空堀が確認されています。台地末端を利用した城の防御施設として、この空堀は重要な役割を果たしていたと考えられます。

●築造時期と役割
築造年代
菅馬場谷城の築造年代については資料が乏しく、正確な時期は不明です。ただし、その立地や構造から、戦国時代後期に築かれたと推測されています。

●「伝えの城」としての機能
地形的な検討や近隣の城との関係から、菅馬場谷城は同じ川崎市内にある小沢城や枡形山城を結ぶ「伝えの城」として機能した可能性があります。伝えの城とは、地域間の連絡や防衛網の補完を目的に設置された小規模な拠点で、後北条氏の防衛ラインの一端を担ったと考えられます。

●現代の状況
現在、菅馬場谷城跡は森林保存地区として整備されており、遺構は一部が残存しています。特に、空堀は当時の城の防御構造を知るうえで貴重な遺産です。
保存地区内では自然環境が保護されており、歴史遺産と自然保護が共存する場となっています。
菅馬場谷城は、戦国時代の地域防衛網の一環としての役割を担っていたと推測され、川崎市内の戦国史を語るうえで重要な城跡です。その存在は、後北条氏の多摩川流域における防衛体制や地域間連携の構造を知る貴重な手がかりとなっています。”

■遺構
曲輪、横堀(空堀)

■場所

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■城巡り記録

2025年1月13日

先日隣の小沢城へ行き、今回は寺尾城へ。

Google先生に案内をお願いしたのですが、入り口が分からず。

団地の方に登れば分かるだろうと思い、寺尾台住宅に向かいます。

住宅前の坂は階段がありましたが、これがかなりの段数。

かといって、坂道を登るのは遠回りだし、これはこれできつい。

そんなわけで階段を上ります。

登った先には団地。

とりあえず一周して見ようと団地の周りをまわってみたらちゃんと整備された道がありました。

階段を降りると整備された土の道。

落ち葉が積もっていてよい感じ。

階段なんかもしっかりと整備されています。

とりあえず、道を一周してみました。

高台だけあり、景色もきれいです。

団地の近くにこういった自然があるのは良いですね。

下る階段を見つけたので下っていきます。

ずんずん下っていくと下に降りられました。

セブンイレブンのところを渡って、小道に入った場所ですね。

これはさすがに所見では分からないので、今回の団地周りが正解かな。

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