■城名
佐和山城(さわやまじょう)
■所在地
滋賀県彦根市
■見ごたえ
★★★
■築城年
鎌倉時代
■廃城年
慶長11年(1606年)
■築城者
伝・佐保氏
■主な改修者
石田三成
■主な城主
佐保氏、小川氏、磯野氏、丹羽氏、石田氏、井伊氏
■天守
非現存
■天守構造
五層(三層説あり。1595年築)
■城郭構造
連郭式
■城分類
山城
■歴史
近江国(現在の滋賀県彦根市)に築かれた中世城郭で、戦国時代から江戸時代初期にかけて重要な役割を果たしました。佐和山城は標高232メートルの佐和山山頂に位置し、急峻な地形と琵琶湖を望む戦略的な立地で、軍事的な要衝とされました。佐和山城の起源は不詳ですが、南北朝時代に築かれたとされ、戦国時代には浅井氏や六角氏の支配下に置かれていました。
1570年代、織田信長が浅井氏を滅ぼした後、佐和山城は信長の配下の柴田勝家が管理しました。その後、豊臣秀吉の家臣である石田三成が城主となり、城は彼の拠点として整備されました。三成は佐和山城を本拠に、豊臣政権の五奉行として行政面で大きな役割を果たし、城下には彼の家臣や商人が集まり繁栄しました。石田三成は特に築城技術に長け、佐和山城も険しい地形を活かした難攻不落の城として知られるようになりました。
しかし、1600年の関ヶ原の戦いで、三成が徳川家康に敗北すると佐和山城も攻撃を受けました。三成敗死の後、徳川方に属していた井伊直政が入城し、徳川幕府の要所として位置付けられました。しかし、井伊直政が新たに彦根城を築城することを決めたため、佐和山城は廃城となり、城内の資材や建物は彦根城に転用されました。
■遺構
石垣、土塁、堀、曲輪
■ご城印
■場所
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■城巡り記録
2024年8月11日
彦根城は有名ですが、佐和山城は有名な石田三成のお城であるのですが、あまり知られていません。
石田三成は「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と謳ったという逸話もあり、それほど素晴らしいお城だったですが、やはり敗戦の将の城はあまり脚光を浴びないということかもしれません。
そんなお城がいかほどのものか真夏の朝見に行ってきました。
グーグルマップを信頼して歩いていたら、線路を跨ぐ歩道橋。
渡ってみると仙琳寺の石田地蔵に行きつきました。
しかし、どうやらこの道は間違っているようで、一旦引き返し龍潭寺を目指して進みます。
井伊家の菩提寺など、彦根城の井伊直政の影響が各所で見受けられました。
龍潭寺の前で佐和山城址の看板等があり、案内もありました。
山門をくぐって進んでいくようです。
苔むした趣のある石畳。良い雰囲気です。
野生の猿が出没するらしいです。ちょっと怖いかも。
少し登るとしっかりとした山道になりました。
結構体力使います。
朝の散歩くらいの気持ちで来たので、予想より大変でした。
山道の階段って、普通の階段と違ってなんか疲れるんですよね。段差が大きいせいでしょうか。
そんなことを考えていると山頂の本郭につきました。
非常に景色が良くて、泊まっていた駅前のホテルも良く見えます。
さらにその先には彦根城。
上から見るとお城の雰囲気が全然違いますね。
石垣も立派で、森の中にお城がある感じが非常に良いです。
さらにその後ろは琵琶湖。
佐和山城からの景色は最高です。
下りは南側から降りることにしました。
千貫井戸などありますし、こちらの方が歩きやすいです。
降りたところにお城っぽい立派な建物がありました。
これは佐和山遊園らしいです。
既に廃墟となっていましたが、佐和山城の模擬天守などを作ったようです。
それにしても、こちらからの入り口は分かりづらいですね。
なかなかこの道が佐和山城に続いているとは思えないので、上るのはお寺側からのほうが良さそうです。
石田三成のお城、佐和山城を堪能しました。
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