■城名
宇都宮城(うつのみやじょう)
■別名
亀ヶ岡城
■所在地
栃木県宇都宮市本丸町
■見ごたえ
★★★
■称号
関東七名城
■築城年
平安時代末期
■廃城年
1868年
■築城者
藤原秀郷または藤原宗円
■主な改修者
本多正純
■主な城主
宇都宮氏、本多氏、奥平氏、戸田氏
■天守
代用 (清明台櫓) (2重2階・2007年木造復元)
■城郭構造
輪郭梯郭複合式
■城分類
平城
■歴史
宇都宮城は平安時代に藤原秀郷または藤原宗円(宇都宮氏の祖)によって築城されたとされ、二荒山神社が鎮座する地に位置していました。宗円は前九年の役での功績により、宇都宮大明神の座主と鬼怒川流域の支配権を得ました。以降、宇都宮氏の居城として北関東支配の拠点となり、鎌倉時代から室町時代、安土桃山時代まで宇都宮氏の居館として機能しました。
戦国時代初期には内紛である宇都宮錯乱が発生し、その後も後北条氏や壬生氏、皆川氏の侵攻を受けましたが、小田原征伐後の宇都宮仕置では豊臣秀吉が宇都宮城に参城し、宇都宮氏は所領を安堵されました。しかし、1597年に宇都宮氏は突如改易され、翌年には蒲生秀行が宇都宮城に入城し、城下の商業整備を進めました。
江戸時代には、関ヶ原の戦い後に奥平家昌が城主となり、元和5年(1619年)には徳川家康の重臣である本多正純が宇都宮城主となりました。正純は宇都宮城の大規模な改修を行い、縄張りを拡張し、城郭周囲に水濠を設けるなどして防御力を強化しました。しかし、1622年に正純は謀反の嫌疑をかけられ改易されました。正純によって再編された宇都宮城下は近代都市宇都宮市の基盤となりました。その後、宇都宮城は多くの大名が城主となり、江戸時代後期には戸田氏が統治しました。
慶応4年(1868年)の戊辰戦争では宇都宮城と城下が焼失し、旧幕府軍と新政府軍の戦場となりました。その後、城は東山道軍の対会津戦争の拠点となり、城郭の面影は徐々に失われていきました。
戦後、宇都宮城跡は戦災復興計画により市街地へと変貌し、1972年までにすべての濠が埋め立てられました。2007年には宇都宮城址公園として本丸の一部が復元され、富士見櫓や清明台櫓、土塀が再現されました。これらの復元建築には主に栃木県産の木材が使用されましたが、内部構造は鉄筋コンクリート造です。清明台櫓は史実に忠実に再現されたため、急な階段が建築基準法を満たしておらず、通常は2階部分への立ち入りが制限されています。
■遺構
土塁、大いちょう、石垣
■再建造物
清明台櫓、富士見櫓、土塁・堀、土塀
■ご城印
■場所
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■城巡り記録
2024年7月27日
関東七名城の一つであり、宇都宮氏の居城であった宇都宮城へ行ってきました。
宇都宮駅の近くだし、あまり見どころは無いんだろうなぁと勝手に想定して行ったのですが、びっくりするほどお城らしい作りになっていました。
なんといっても土塁がいいですね。
再建されたものなので遺構とはならないんですけど、遺構では見られない土塁の高さが実感できて素晴らしいと思いました。
そして土塁の下には水堀があり、こちらもお城っぽさがあってよかったです。
再建された清明台櫓は内部に入ることは出来るのですが、史実に忠実に再現されたため急な階段となり、建築基準法を満たせないため登れないそうです。
そんなこともあるんですね。
土塁に空いた通路が現代っぽく、何とも言えません。
まぁこれはこれで良いような気もします。
エレベーターもいいですよね。
でも、このように作るならなぜ櫓を史実に合わせたのか、、。
歴史博物館となっている清明館で、ご城印を購入できます。
今後、さらに多くの建物が再建されるようですし、見どころの多いお城になっていくのも面白いです。
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