「松坂城」37城目@100名城 #三重県

■城名
松坂城

■所在地
三重県松阪市殿町

■称号
日本100名城

■別名
松阪城

■築城年
1588年(天正16年)

■廃城年
1871年(明治4年)

■築城者
蒲生氏郷

■主な改修者
古田重勝

■主な城主
蒲生氏郷、服部一忠、古田重勝

■天守

■天守構造
連結式3重5階

■城郭構造
梯郭式

■城分類
平山城

■縄張り
松阪市の中心地の北部に位置する。阪内川が城北を流れ天然の堀となっています。

城内の建築物は1877年(明治10年)の失火と1881年(明治14年)までの破却によって失われ、現地には石垣のみが残っており、城址公園となっています。

■歴史
松坂城の築城前より、伊勢国司・北畠家の武将・潮田長助が四五百森城を当地に築城していました。
さらにさかのぼると、縄文土器が出土していることから、縄文時代後期には人々が居住していたものとみられます。
ただし城跡から多く出土するのは弥生土器です。

1584年(天正12年) – 近江国日野城6万石の蒲生氏郷が伊勢国12万3千石を与えられ飯高郡松ヶ島城に入城します。

1588年(天正16年) – 氏郷は、松ヶ島は伊勢湾に面し城下町の発展性がないと考え、現在の城地である飯高郡矢川庄の四五百森(よいほのもり)に新たに築城を開始した。工事は領内の寺社を取り壊して転用し、急ピッチで年内に完成させました。
城は東に大手、南に搦手を配し、外郭に深田堀及び水堀を巡らせます。

四五百森北峰に本丸を配し、その南側に二の丸が置かれました。

本丸には3重5階の天守が構えられ、城下町建設にあたり松ヶ島住人を強制的に移住させて、旧領の近江商人を町の中心部に呼び寄せて日野町とし楽市楽座を設けました。

また、湊町に伊勢大湊の豪商角屋氏を呼び寄せ、これにより商都松阪の礎が築かれました。

1590年(天正18年) – 氏郷は小田原征伐の軍功により陸奥国会津60万石の大封を得て若松城に移り、代わって服部一忠が入城しました。

1595年(文禄4年) – 服部一忠は豊臣秀次事件に連座したと豊臣秀吉より叱責され自害します。

次いで古田重勝が3万4千石で入城しました。

1600年(慶長5年) – 関ヶ原の戦いの軍功により徳川家康より2万石を加増されました。

重勝はこの年に死去し長子の重恒が幼少のため重勝の弟・重治が襲封します。

1619年(元和5年) – 古田氏は石見国浜田城に転封となり、南伊勢は紀州藩の藩領となりました。

松坂城は当地を統括する城として城代が置かれ、城内の天守以下の櫓や門等の建物は放置されていたため、1644年(正保元年)に天守が台風のため倒壊したとされ、以後は天守台のみが残ることとなりました。

1794年(寛政6年)には二の丸に紀州藩陣屋が建てられました。

以後、紀州藩領として明治維新を迎えます。

1871年(明治4年) – 廃藩置県により廃城となりました。

1877年(明治10年) – 失火により二の丸御殿を焼亡しました。

1889年(明治22年) – 町村制施行時に地名が「松坂」から「松阪」に変更されます。

■見どころ
(遺構) 天守台、本丸、二の丸、石垣等多数残る
(指定文化財) 国指定の史跡
(再建造物) 石垣修復

■ご城印

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■城巡り記録

2022年7月24日

松坂駅で降り、駅前の観光情報センターに寄ります。

こちらで松坂城のパンフレットやご城印を購入することが出来ます。

ご城印は200円、蒲生氏郷の武将印もあり、こちらは300円で購入できます。

早速購入しました。

そこから歩いて松坂城へ。

真夏の暑い中、松坂城までは結構ありました。

松坂城に到着です。

さっそく綺麗な石垣が出迎えてくれました。

平山城らしく、上り坂に石垣が並んでいます。

荒々しい石垣もまたいいですね。

津は藤堂高虎のお城が多いですが、こちらは蒲生氏郷のお城です。

蒲生氏郷も築城の名手ですよね。

石垣の上から覗いてみました。

伊賀上野城ほどの高石垣ではありませんが、それでも結構な高さです。

100名城のスタンプはお城の中にある歴史民俗資料館に置かれています。

ここでしっかりと押印しました。

そこからまた登っていきます。

石垣が苔むしているのも素晴らしいです。

年代を感じさせる石階段もいいですね。

鐘の櫓跡にきました。

こちらからは先ほどの歴史民俗資料館が見えます。

その先の石垣には水を通す穴が空いていました。

その下も加工がされています。

本丸からの水抜き用の穴だと思われますが、こちらは築城当時から空いていたものでしょうか。

石垣を観ながらぐるっと回ります。

眼下にはプールで遊んでいる姿が見えました。

今日は暑いので、いいですね。

それにしてもお客さんが少ないような。満喫できるな。

隅櫓跡などをみながら進みます。

結構広いきたい丸跡の広場を登ると本丸に到着します。

本丸からさらに天守跡に登ります。

一段高くなった天守跡です。

建物はありませんが、石垣が良く残っていると思います。

本丸の周りをぐるっと回ってみました。

景色は良いですね。

内側の石垣もしっかりしていて立派です。

先ほどの水路用の穴を上から見てみました。

本丸内側も水路が通っています。

石垣で覆っているので、やはり水はけが悪く、穴をあけたのでしょう。

よく考えられています。

端っこに松坂開府の碑がありました。

中御門跡の方から帰りはおります。

途中、本居宣長の旧宅や記念館がありました。

本居宣長は松坂の出身だったんですね。

途中藤棚のある場所から、お城が見えました。

こんなに近くにお城があったのかな。

しかも、街中のようですし。

調べてみたら、元歯医者さんらしいです。

【松阪市】『松坂城跡から城が見える?!』ってどういうこと?実際にお城を見に行ってみました☆
『松坂城跡に上ったら、遠くに城が見えた!』という、観光に訪れた方からコメントを頂きました。松坂城跡は、あくまでも城跡で、お城としての建築物は無いはずだし・・・そもそも、城跡にのぼって、そこから遠くに見

個人で建てるとはすごいですね。

松坂城を堪能しました。

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