「新発田城」#新潟

■城名
新発田城

■所在地
越後国蒲原郡新発田(現在の新潟県新発田市大手町)

■称号
日本100名城

■別名
菖蒲城(あやめじょう)・舟形城

■築城年
不明

■廃城年
1873年(明治6年)

■築城者
(新発田氏)

■主な改修者
溝口秀勝

■主な城主
新発田氏 溝口氏

■天守

■天守構造
御三階櫓複合式層塔型3重3階(1679年(延宝7年) 再・非現存)
(木造復元・2004年(平成16年) 再)”

■城郭構造

■城分類
平城

■縄張り
城の北部を流れる加治川を外堀に利用した平城であり、本丸を中心に北の古丸と南の二の丸で囲い、その南側に三の丸を配する構造でした。
現在は本丸の一部を除く全域と古丸全域、二の丸の一部が自衛隊駐屯地として利用され、本丸南側の石垣と堀、櫓門の本丸表門と二重櫓の二の丸隅櫓が現存しています。
現存建築がある城跡としては新潟県内では唯一です。
ほかに三階櫓や二重櫓の復元建築があります。
また、石垣は本丸の表門側のみに前面乱積みの石垣がもちいられ、他は腰巻石垣や土居であったと考えられています。
しかし寛文9(1669)年の大地震により、石垣が崩落しその復旧工事で、切込接布積に改められたとされています。

■歴史
最初に城が築かれた時期は不明ですが、鎌倉時代初期に幕府設立に戦功のあった佐々木盛綱の傍系である新発田氏による築城と考えられています。
代々新発田氏の居城となっていましたが、天正9年(1581年)、新発田重家が上杉景勝に対して反乱を起こしました(新発田重家の乱)。
天正15年(1587年)、景勝方の攻勢により新発田城は落城。新発田氏は滅亡しました。
その後上杉氏の会津転封に伴い、慶長2年(1597年)、溝口秀勝が6万石の所領を得て新発田に入封。
新発田藩領内を治めるための拠点として新発田重家の旧城の地を選び、新発田城の築城を行っていました。城
が完全な形となったのは承応3年(1654年)頃、3代宣直の時代といわれています。
その後寛文8年(1668年)、享保4年(1719年)に火災によって城内建築に大きな被害を受けるが、その度に再建されています。

■見どころ
(遺構) 櫓・長屋・門、石垣、土塁、堀
(国の重要文化財)表門、二の丸隅櫓
(再建造物 三階櫓、辰巳櫓

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