明治6年 太政官による旧藩城の廃棄布達により全国には僅か39の城が存するに至った。
陸軍において建築・修繕を担当していた中村重遠工兵大佐やドイツ公使マックス・フォン・ブラントらが修復を太政官に上申するよう願い出て、明治11年(1878年)12月、陸軍卿山縣有朋により、名古屋城と姫路城両城の保存が決定された。
名古屋城、姫路城とも陸軍の費用で修理することに決定し危うく廃棄をまぬがれた。
名古屋城は大東亜戦争の米軍の空襲により焼失してしまったが(後に再建)、姫路城は戦災を免れ補修を重ねながら昔ながらの偉容を現在もとどめている。
この世界遺産にも登録された姫路城が現存するのはまさに中村重遠の尽力によるものであり、姫路城にはこの事績を記した重遠を顕彰する大記念碑が建立されている。
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